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「峠」 司馬遼太郎

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越後長岡藩の筆頭家老河井継之助が主人公。長岡藩における河合の立場は首相みたいなもの。いちおうその上に藩主がいます。
時代は江戸幕府がついに政権を明け渡し新政府が樹立されるころ。北陸の小さな長岡藩は江戸幕府側につくか新政府側につくか決断を迫られます。小さな藩ではありますが、見て見ぬふりはできない。簡単にいうとこういうことです。

新政府「長岡藩さん、江戸幕府に味方する抵抗勢力を一掃するために手を貸してください」

河井の長岡藩「いや私たちの国は中立なのでお手伝いはできません」


と言い出したのです。
河井は長岡藩を中立国のような存在にしようと考えました。中立国といえばスイスを思い浮かべますが、戦争なんてしたくない!といって中立を出張してもそうさせてくれないのが戦争の怖さです。「おまえ、どっちの味方だ?はっきりしろ」と言われちゃう。だから中立するためには武力も必要。河井は武装中立国を目指します。

けれど河井の限界は「藩」が自分の「国」であるという認識を捨て切れなかったことだと思う。江戸幕府の時代は、河井のように多くの人が「藩」=自分の国という認識だったのですが、黒船がやってきて外国人を見てからは、坂本竜馬のように「日本」を意識する人が増えはじめた。それまでの日本は藩といういくつもの国に分裂していたようなものです。黒船事件で考えたことがあります。 たとえばもし宇宙人が地球に襲来するとします。そうしたらアメリカや日本という国の枠が消えて地球という国ができるかもしれない。 異物が侵入するとこのように劇的に同胞意識や連帯意識が生まれる。 日本は黒船という異物がやってきたことで、藩という国がなくなり日本という国が出来上がったのかもしれない。

河井は時代が確実に変わったあとも、その考えができなかった。
彼は長岡藩は自分の国であり、それ以外は外国であるという考えだった。彼にといって長岡人以外は外国人だった。 その結果、新政府に抵抗勢力と見られて滅ぼされるわけです。本作では河井は最後の武士だと言われていますが、たしかにそうかもしれない。いい意味でも悪い意味でも武士だったと思います。