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「異邦人」 カミュ

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主人公のムルソーは人を殺して、その理由を聞かれ、太陽のせいにしました。
また彼は、母親が死んだ直後に、恋人と喜劇映画を観にいきました。 

極論になりますが
ムルソーは、人を殺したから処刑されたのではなくて
母親が死んでも泣かなかったから、「異邦人」として、社会から排除されたのだと思う。

「社会」にはモラルという暗黙のルールがあり家族が死んだら悲しむべきであり
悲しいならば涙を見せてそれを表現しなくてはいけない。
そのような人間らしいふるまいができない者は、社会から異邦人として
つまはじきにされてしまう。 ムルソーという人間の善悪が、どうあれ、なぜ彼が
異邦人にされてしまったかを考えてみる。 

誤解を恐れずにいうならば
人殺しをしても、その動機がお金を奪うためや、復讐のためなど
殺す理由があった場合は、「異邦人」とは言われないはずです。

(ただし死刑にはなりますが) 
また人を殺した後、恐怖で震える人も異邦人じゃない。

たとえば、ムルソーと同じ殺人者である「罪と罰」の
ラスコーリニコフは「異邦人」ではありませんでした。
変な言い方ですが、彼は「正常」な人殺しです。

人を殺したあと、恐怖や不安で熱まで出してしまうラスコーリニコフを見て
常識をもった私たちは安堵する。

「これこそ人間なんだ!人間は、人なんか殺したらおかしくなってしまうんだ!」

と思いたいのです。
私たちは、人を殺すということは、ラスコーリニコフがそうであったように
大変な苦労をするものだと思いたいし、殺すには殺す理由がちゃんとあると思いたいし
殺した後は狂ってしまうほど苦しむはずだと思いたいのですね。 

これに当てはまらない人間がムルソーでした。 
ふっと思ったのですが、「異邦人」のシュチエーションは
ラースフォントリアー監督の映画作品と、そっくりです。
ダンサーインザダークのセルマ、ドッグヴィルのグレース、奇跡の海のベス、
みんな異邦人じゃないですか(^^ 

私たちはいつだっていろんな場所で

「人間の定義」を勝手に決め付け

それに該当しない人を異邦人としてつるし上げている。

とくに・・

「人間らしさ」を装わない人たちが

異邦人と呼ばれやすい


のです。
私自身が、異邦人であるために、この小説はかなり恐かったです。
しかし私の場合、他人の目を意識して、いつも「人間らしさ」を演じますが・・。