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青い鳥 重松清

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重松清は子供のころ、きよしという言葉が言えなかったそうです。言おうとしても、
きっきき、きよしっ!とどもってしまうから。作者は吃音でした。

「青い鳥」は泣かせのキヨシの本領発揮。主人公は子供の痛みを理解できる先生です。先生自身が吃音という心に深い傷を負っているので、子供の心の傷に敏感に気がつく。

この小説には痛みを持った子供がゴロゴロ登場する。しかもどれもディープです。
先生を刺してしまった生徒。
親が自殺してしまった生徒。
親が人を殺してしまった生徒。
明るさを失ってしまった子供たちに対し、ふつうの先生だったらなんというでしょうか?


「どうした、おまえ、暗いぞ!もっと元気にしろ」


先生に非はない。先生はCIAの諜報員ではないので、個々の子供の情報を把握するにも限度がある。痛みを持った子供たちと直面して、一番残酷な行動にでるのは、大人よりも、むしろふつうの子供だ。なぜふつうの子供は明るくて無邪気なのか分かりますか?それはまだ人生経験が短くて、大きな心の痛みを受けていないからです。そのかわり、痛みがない分、他人の痛みにも鈍感だ。だから少し変な子を見つけたら、平気で笑いの種にするし、いじめの対象にしたりする。吃音の先生を指差して嘲笑することもある。


(映画化された青い鳥の一場面)
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この小説の特徴として、狡賢い子供や、残酷な子供が多く登場する。
これは重松作品すべてに共通していることですが



子供とは未完成ゆえに残酷な面をたくさん持っている。



重松さんはそれを容赦なく描いていく。つまり子供とは、無垢で傷付きやすい反面、悪魔のように他人を傷つけることもある。痛みを受けたことがないから痛みが分からないのだ。「青い鳥」の章はこういう子供の二面性をしっかり描いている。


親にとって子供は天使。しかし子供にとって「子供」という存在は、時として自分に致命傷を与えるナイフになる。



他人の痛みに気がつかない未完成な子供たち─。
なすすべくもなく仲間はずれにされる無力な子供たち─。
そして孤立する子供たちに対して無知な先生はこう言い放つ。



「協調性のない子だ!」 


むかで競争─。あれこそ学校による学校のための、子供たちに対する協調性の押し売りである。しかしこの短編小説にはハッピーエンドが多い。「おまもり」のラストは現実的にはありえない。それなのに素直に感動させる力を作者は持っている。「ハンカチ」のラストシーンはあざとすぎる。しかし・・・・「ちっちちち千葉っ、ととと知子っ!」もうこれだけで充分。この台詞だけで、笑いながら泣くことができる。



私はこの本を人前で読んでいた。
だから泣くのだけは必死でこらえた。男が人前で泣くわけにはいかないのだ。
しかし涙をこらえようとすると、鼻水が洪水のように出てくる。
人前で泣くのは男として恥ずかしい。
しかし人前で鼻水をぽたぽたたらすのは人間として恥ずかしい。
しかしどうしようもなかった。
これからこの本を読む人に私がアドバイスしたいことは
「ハンカチ」「おまもり」「カッコウの卵」は涙腺刺激度が強烈なので、
くれぐれも人前で読まないほうがいいと思います。

(カッコウ)托卵をする鳥。ようするに無責任な親の象徴として描かれている。
映画「カッコーの巣の上で」カッコーの巣は精神病院のメタファーになっている。
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