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芥川賞受賞作品である。この小説には次のような制約があるらしい。

 ・横書き
 ・固有名詞を使わない
 ・ひらがな多用
 ・カタカナを使わない
 ・記号を使わない


以下、本文抜粋。

aというがっこうとb というがっこうのどちらにいくの
かと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどが
あったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくと
ころだったから,a にもb にもついにむえんだった.その,
まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの
中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてん
じょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児
たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせ
り,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりな
おせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どち
らでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日
月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふ
れよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.



読めるかよ。
いや努力すれば読めるかもしれない。しかしなぜ読者が我慢しなくちゃいけないのだ?
根本的な問題として、小説は面白くないと意味がないとおもう。
「日本語の限界に挑んだ」とか言っているが、むしろ挑むな、と言いたいぐらいだ。

日本語の素晴らしさだとか、日本文学バンザイだとかそういう理由で
この小説を選考委員が評価するのは分るが
じゃあ選考委員はこのあとこの作者の小説を読み続けるのか?
と考えたらおそらく読まないに違いない。

魂をたましいとひらがなで書くと浮遊感覚が芽生えると評価されているらしいが
私から言わせるとやかまわしいわと思えることでも
そもそも「文学」とは芸術そのものなわけで、人にはいろいろな見方があるのも分る。

作者は早稲田のエリートだ。
いつも不思議なことだが小説には学歴がつきまとう。

もし、当該小説を、小学生がひらがなで書いて東大生が書いたと宣伝すれば
どうなるだろうか?
おお!このひらがなは、見事な浮遊感覚だ!こんな笑い話のような出来事が実際に起きそうだ。



ピカソの絵も同じだ。
小学生の書いた絵をピカソと言えば10人中3人は
これは奥が深い作品だ!とほざくに違いない。


しかしもしこの小説をほめろと言われたら私はこう言う。
「読破したら80歳でエベレスト登山に成功するのと同じくらい偉業ですよ!」


読みにくい小説というのは必ずしも需要がないわけではない。
読者はチャレンジ精神を持っているからこの小説だって読まれ続けるだろう。
そうだ、読書はある意味で登山と同じなのだ。

意味を理解できずに読み終えたとしてもそれは読破したと胸を張って良い。

「ぼく、このあいだ、え~び~さんごを、よみおえたよ」と同僚に言ったら
おそらく10人中7人に尊敬されることは必至である。
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我々相撲ファンが常々、苦々しく感じていることがある。
それは稀勢の里の立ち合いの狡さだ。

今場所、全勝同士で稀勢の里と白鵬が対決した。
この勝負、結果から言うと白鵬が勝った。

(横綱にねじ伏せられてピクリとも動かない稀勢の里。)
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白鵬と稀勢の里の実力差は縮まっているという間違った意見を言うマスコミが多い。

しかし我々相撲ファンは、横綱と稀勢の里の実力差は縮まっているとは思わない。
稀勢の里が一番白鵬に近づいたのは、あの白鵬の連勝記録を止めたときである。
それから両者の実力差は徐々に開き始めている。
これは少なからず相撲を知っている人間から見れば疑いようもない真実である。

今回、白鵬は、横綱という立場でありながら
立ち合いで最初に手をついて稀勢の里を待つ姿勢で臨んだ。
なぜならば稀勢の里が一度おろした手をあげてしまったからだ。
これをみてアナウンサーが、横綱が待ったしたと言っていたが
もちろん違う。
いずれにせよ稀勢の里はこの時点で横綱からとんでもない僥倖を得たわけである。
なのに完敗だった。なぜか?答えるまでもないであろう。

(悔しがる稀勢の里。この気性の激しさは好きだ。)
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通常、横綱と対戦する力士は、立ち合いの時に両手をしっかりつけて
手をついて待っているのが儀礼である。
我々相撲ファンが、いつも苦々しく思っているのは
稀勢の里が横綱相手にいつも互角の立ち合いをしようと目論んでいることなのだ。
これは相撲の伝統を無視した冒涜だ。協会もこの暴挙に対して注意しようとしない。

稀勢の里は立ち合いのとき、特に横綱戦では、片手しか手をつけない。
ひどいときは横綱相手に「お前が先に手を付け」という悪態を示すこともある。
しかも横綱が間合いを計っているときに、
「おれが片手を地面に置いたらすぐ立て」という意思表示を示すために
意図的につっかける。我々が気に食わないのは稀勢の里のこの態度なのだ。
これは以前も問題になった稀勢の里の悪い癖である。

以前、横綱は稀勢の里との一番で変化し、口をへの字に曲げたときがあった。
誰もが覚えているあの一番だ。
あのときの横綱は、稀勢の里のあまりにも傍若無人な立ち合いに対して
変化をすることによって返答したのだ。
つまりお前とは勝負をしたくないという意思表示だ。
そして口をへの字に曲げることによって、不満の意を表したのだ。
それはまるで稀勢の里というわがままな子供に対して
「あなたはまず横綱に対する立ち合いを覚えなさい」と戒めるような見事な対応であった。

(立ち合いで横綱に叱られる稀勢の里。悪童ぶりは朝青龍なみだ。)
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では今回はどうだ?
横綱は圧倒的な余裕を見せたかったのだろうか?
とにかく横綱は、格下相手に先に手をついて待つという姿勢を自ら選らんだ。
立ち合いで主導権を握ろうとする無礼な大関に嫌気がさしたのかもしれない。
横綱という身分でありながらこの立ち合い。そして見事に勝った。
もちろん横綱の潔い立ち合いに対し文句を言う相撲ファンは誰一人いないであろう。

この立ち合いで横綱が変化したと嘘ぶく人間がいるが、
単に上手狙いの結果がそうなっただけに過ぎない。
1つ言っておこう。
相撲は直線勝負ではない。横から攻めるのも手段なのだ。
なぜ土俵が丸いのか冷静になって考えてもらいたい。
稀勢の里の猪突猛進は決して美化されるものではない。
むしろ横にそれたら卑怯だと論じる猪突猛進論者は、愚か者のロジックである。

そして我々のような真の相撲ファンは、日本人ではあるが
人種のみで力士を応援しているわけではないことは伝えておこう。

いま、大相撲は少しおかしな状況になっている。
それはヒステリックな日本人横綱待望論である。
当然のことながらミーハーな連中は
「日本人」というたったそれだけの理由で稀勢の里を応援する。
そして稀勢の里と白鵬の立ち合いについて愚かな論争を繰り広げるのだ。

礼儀を忘れた今の相撲界で立派な立ち合いができているのは残念ながら
豊真将、豊ノ島、豪栄道の3人しかいない。

本当に稀勢の里が横綱に近づいたのか?
それならば、なぜ千秋楽に琴奨菊に秒殺されるのだ?
なぜ白鵬は、力が落ちたと言われながらいつの間にかまた30連勝しているのか?
もっと、もっと、深く冷静に、そして客観的に相撲を観てもらいたい。
稀勢の里は横綱に近づいていないし、何も状況は変化していないのだ。
ネトウヨ根性丸出しで、日本人VS外国人という視点でしか
相撲が観られない盲目な愚か者に相撲を観る資格はない。

日本人が活躍しないと大相撲は衰退すると憂える愚かな思想、
その思考こそが大相撲を衰退させる。
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少なくとも稀勢の里は今の状況では横綱になれないし、なってはいけない。
彼は敵が多すぎる。白鵬は他の力士から尊敬されるが、
稀勢の里という力士は、他の力士から好かれているようには見えない。
問題はそこなんだ。
これはようするに、人種の問題ではなく、人格の問題なのだ。

まず稀勢の里は横綱のもとに出げいこに出かけろ。
横綱に研究されてしまうと勝てないからといって逃げ回っているようでは
今後も横綱には絶対に勝てないだろう。

(これは横綱と稀勢の里の貴重な稽古シーン)
横綱にボコボコにされ、脳震盪を起こしている稀勢の里。
気絶した稀勢の里を支える横綱は失笑。
本当に稀勢の里が横綱に近づいたの思っているなら再度、稽古してみろ。
横綱だって鬼じゃない。命まで取ろうとはしないだろう。
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殺人者の本が、図書館に置いてあるという事実。
遺族にとっては、傷口に塩を塗られる心境かもしれません。
逃亡経路は、東京→北関東→静岡→東北→四国→沖縄→関西→九州 
本人いわく「卑怯にも逃げてしまった」と書いてあります。
しかし卑怯とは思っていないだろう。
むしろ逃げることに対して、何の葛藤も迷いもない。
以下、本文より抜粋。


ナタの柄でヘビの首を押さえてスコップの刃で首を切った。首を落とす瞬間、ヘビの牙から液が垂れて地面の砂につくと、ジュッと音がした。毒ヘビだと思った。毒ヘビは首に毒嚢があり、内臓にはサルモネラ菌がいる。そうサバイバルの本に書いてあったので、首の部分は大きく切り落として、肛門から包丁を入れ慎重に内臓を取り除いた。ブツ切りにして焼いて食べた。 


毒蛇を食べるぐらいだったら、おとなしく刑務所に入った方がマシだろ?と素直に思った。

ハリソンフォードの映画「逃亡者」だってここまでザバイバルな逃亡生活は送っていなかったはずだ。この文章で何が理解できるか?つまり彼は逃げることを渇望していたのだ。罪の意識から、逃げることをやめよう、とは頭の片隅にも無かったはずだ。
どういう男だったのか?タフだと思う。それと同時に知識が豊富だ。
彼は読書好きで、逃亡中も小説を読んでいた。医学を目指していたそうだ。挫折したエリートだったのかもしれない。この本を読む限り文章力はないように見えるが、主観を極力排除し、事実を淡々と描いているのは意図的だと思われる。感傷的になることもわざと抑えているように見える。
特に上記の蛇を殺して食べる描写などはその象徴だと考える。


逃亡が長続きした理由は3つあるとおもう。
1・・逃げたいという強い気持ち。普通だったらあきらめる。蛇を食いたくないし。
2・・知識の豊富さ 行動力というのは突き詰めれば知識だと思う。彼は知識があった。
3・・インターネット  やはりネットは逃亡の大きな武器になっていたように感じる。
   それと同時にネットで検索したワード(言語)が後で警察に調べられると理解していた。
   

社会の底辺を描いた描写が印象に残った。それは大阪のあいりん地区である。彼は人を殺して底辺に堕ちた。あいりん地区には路上生活者が数多く居住し、住所不定の日雇労働者が多い。身分証明証がなくても宿泊、就労、銀行口座開設ができる。いわゆる無法地帯、日本のスラム街と呼ばれている。
最初から底辺にいるものは、底辺の生活や底辺の環境に違和感を感じない。しかし、市橋のように、突然底辺に堕ちた人間は、環境のギャップが生じるために観察眼がするどくなる。それを簡潔に文章にまとめている。しかし、類は友を呼ぶ、という言葉があるが、悪のレベル度は違えども、人殺しも、詐欺も、怠け者も、けっきょく同じ場所に吸い寄せられるのだと思った。

私は、悪い人間になれば周りに悪い人間が集まってくると思っているし
良い人間の周りには良い人間が集まってくるという考えを持っている。

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鈴木大拙館 

金沢へ旅行するならば
兼六園
鈴木大拙館
21世紀美術館
この3つは外せない。

これが石川県が誇る・・いや日本が誇る水鏡の庭である。
壁が、木が、そして建物が鏡のように水面に浮かび上がる美しさよ。
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鈴木大拙館のコンセプトは「無」である。行けばその意味が分る。
言葉では説明できない。実感することで理解できる真実なのだ。
1人旅もOK。むしろ1人で来て貰ったほうが鈴木の哲学を実感できるかもしれない。
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「生」とは何か?「静」とは何か?
もし、人生に疲れたならば、一度、ここを訪れてもらいたい。
何もかも捨て去る気持ちでここを訪れると、何かヒントを貰える。
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水面には意味がある。表裏は一体である。
石川県は都会とはもちろん違う。静寂に包まれた空間だ。
目に見えるものだけを追いかけて神経をすり減らしている現代人よ。
足元を眺めてみよ。そこに同じモノが見えないだろうか?

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世界大ベストセラー6000万部超の小説です。
おそらく、現時点では、世界で一番おもしろい小説だと思います。

火と戯れる女?ヒロインがパパを焼き殺そうとしたからでしょうか?
だとしたら戯れるどころじゃありませんね!

スウェーデン小説のせいか名前が憶えづらい。
ブルムクヴィストって誰だっけ?と思ったら、ミカエルの名前の一部だったり
あれ?スヴェンソンって誰だっけ?と思ったらダグのことだったり
同じ人物なのに、名前がそれぞれのシーンで使い分けられている。

しかし、ヒロインのリスベットサランデルの名前だけはさすがに忘れようがない。
(ハリウッド映画版 リスベット)
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身長150cm、体重40kg。恐ろしいほど繊細で、恋愛下手で、寡黙な女の子だが
きわめて凶暴で、すさまじい攻撃力がある。そのうえアスペルガー症候群で
天才少女でありながら、変人という2つの側面を持つ。

特に本作品では、「彼女は異常者だ。」」「いや彼女は優秀な人間だ」
という2つの異なる意見を、何度も、何度も、繰り返し、複数の登場人物たちに言わせている。

また彼女はドラゴンの刺青や、ピアスなど奇抜なファッションをしているが
愛読書は17世紀フランスの著名な数学者ピエール・ド・フェルマーである。
「博士の愛した数式」という有名な小説がありますが
リスベットも数式を愛していました。
リスベットサランデルとは、このように、神か悪魔か?というくらいに
圧倒的な存在感を示した神秘性を秘めた女性なのです。

リスベットは、天才でありながら変人
金持ちでありながらニート(金持ちと言っても盗んだ金だが)
犯罪者でありながら道徳家。
人間嫌いでありながらモラリスト。
虚弱体質でありながら最強。
虚無主義者でありながら、片思いの恋愛家
作者は、しつこいほど、彼女の二面性を、小説のなかで炙り出しています。

リスベットの敵=女を憎む男たち。
ミレニアムシリーズはどんな小説かと言えばフェミニズム活劇です。
もちろん世界最高峰のミステリー小説という側面もありますが
私はリスベットが、バカ男たちを退治するのが最高に楽しいと思う。

(金髪の巨人・・私のイメージはバイオハザードの敵役)
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紛れもなく彼女がミレニアムの主人公だと思っているので
まさか彼女が殺される可能性についてはまったく考えていませんでした。

ラストシーン。「あれ?」と思った。あれ?リスベットが銃で頭を撃ち抜かれた。
あれ?リスベットが殺されて土の中に埋められた。
あれ?・・リスベットは主役じゃないのか!という衝撃。

しかしである。突然、土の中から手がボコ!と出てきてゾンビのように蘇るリスベットサランデル。
(あくまでも小説を読んだ後の、私の脳内のイメージ図)
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いくらなんでもやりすぎだろ!と思いつつも、やはり嬉しい(^^)


「大好き!リスベット」と臆面もなく言える私。
ふふふ。早くハリウッドでこのシーンを映像化してほしいですね。
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