基本的に兼六園は朝の5時から7時までのあいだは無料だ。
しかし料金などたかが300円程度だから無料が魅力なのではない。
人がいないから魅力なのだ。

e0065456_21324281.jpg


満員電車のなかのような状態で兼六園内を歩き回っても楽しくもあるまい。
朝の6時は人がいないので非常に心が落ちつく。
この時間帯の兼六園は、ジョギングしているジジイしかいない。
石川県知事も早朝の兼六園を散歩するのを日課としているらしい。
いずれにせよ、ジジイたちしかいない。
e0065456_21341915.jpg


ゆっくりと日の出をみながら兼六園を散歩するのもいい。
開園前の早朝の兼六園は別世界だ。
e0065456_2140840.jpg

[PR]
聖域の岬。そこは奥能登のゴールと言って良い地点だ。
まずは珠洲へ。
最果ての地である。右を向いても左を向いても海。
e0065456_2105236.jpg


聖域の岬
たぶん道に迷う人が多いと思われる。
驚くことにバスがここまでやってくる。無茶だと思う。
そもそも道と呼べる道ではないじゃないか。
いつか事故が起きそうだ。
ちなみに奥能登はナビなんて役にたたないぞ。
(特にナビを信じて道に迷う場所は皆月だろうな・・)
秘境みたいなものだ。
e0065456_219586.jpg


じつはこの岬に幻の旅館と言われるランプの宿がある。
人気がありすぎて予約はまず不可能と言われる場所だ。
車では旅館まで近寄れない。あきらめて歩け。
行き止まりのような道を進んでいくので非常にマニアックだ。
下の写真で2人が歩いている姿が見えるだろ?そこを下って行くのだ。
車から離れるときは、動物に気をつけろ。
いろいろな動物と遭遇する可能性がある。
e0065456_21141354.jpg

[PR]
石川県、奥能登、千枚田へ行ってきた。
ここは駐車場が狭い。
よってもし観光客が石川県の名所:千枚田を訪れたいならば
朝の9時前までに訪れるように。
さすれば駐車場に車を駐車できる。
e0065456_20114710.jpg


千枚田の景観の魅力は海と密接な関係がある。
海があるから千枚田は千枚田たりえるのだ。
反対に海がなかったらその魅力は10分の1以下だろう。
e0065456_20203650.jpg


海と空の境界線がわかるだろうか?
e0065456_20295692.jpg

上の写真で、左上の物体は船である。
つまりこの地点は、空ではなく、まだ海なのだ。
ここを車で通過するときの景観は、おそらく日本で一番素晴らしい。

石川県の魅力は兼六園のみあらず。
奥能登こそ石川県の最大の魅力なのだ。
しかし、環境客が電車やバスでここを訪れるのは多少難がある。
箱根や京都のように交通網が整っているわけではないからだ。
金沢駅でレンタルカーを借りて奥能登へ行くしかない。
まるで海の中をドライブしているような感覚になるのは
日本広しとはいえ、奥能登しかあるまい。
e0065456_2038514.jpg

[PR]
e0065456_22171260.jpg


前回、白鵬に対する稀勢の里の立ち合いの狡さについて投稿し
多くの人々から賛否両論の意見をいただいた。
大抵の方々の意見は、私の意見に賛同をいただいたことに感謝したい。

我々相撲ファンは稀勢の里が嫌いではない。

しかし、彼が横綱に対し、あまりにも無礼な立ち合いが多いために
そのことを指摘させて頂いたしだいである。
それは今場所も改善されなかった。我々はそれが残念でならないのだ。

実力で負けたならば横綱はこんな悔しい顔はしない。
稀勢の里の立ち合いの狡さにまたもや出し抜かれた横綱。
毎場所、両者の対戦は、立ち合いで子供じみた小競り合いを演じている。
e0065456_22222355.jpg


実は横綱との立ち合いで手をついて待たない力士は稀勢の里1人しかいない。
そしてそれが許される風潮、誰も注意しようとしない風潮、
この風潮こそが今の大相撲が礼儀を欠いている元凶なのだ。


たしかに稀勢の里は白鵬キラーだろう。

なぜならば、立ち合いで、「特典」を得ているからだ。
横綱がこんな無様な立ち合いを強いられるのは稀勢の里との一番しかない。

しかしである。稀勢の里の対戦相手が琴奨菊になるとどうなるか?
今度は稀勢の里は立ち合いのハンデをもらえないらしい。
琴奨菊は稀勢の里との対戦では、意地でも最初に手をつかず
必ず、稀勢の里に手をつかせている。


(相性が悪いのではない、単純に琴奨菊よりも実力が下回っているのだ。)
e0065456_2228297.jpg

相撲界の裏事情について我々は知らないが
稀勢の里は横綱からハンデを貰って戦わせてもらえる「特典」があるらしい。
この「特典」は横綱ですら渋々認めざるえない理由があるらしい。
相撲協会の圧力があるのかもしれない。


しかしである。稀勢の里は、他の力士には立ち合いでそのハンデがもらえない。

そもそも稀勢の里は立ち合いで、相手に手をつかせて待たせる形で戦うことに慣れ過ぎている。
そして勝利を得ている。その事実を誰も気が付かない。

横綱が稀勢の里相手にいつも不利な立ち合いをあえて強いられる理由は
日本人待望論という世間の風潮と関係がある。
そして稀勢の里はそれを利用し、立ち合いでハンデをもらい
いつしか横綱キラーと呼ばれるようになった。
しかし、対戦相手が栃煌山や琴奨菊になると、立ち合いで相手に手をついてもらえない。
そうなると並み以下の力士に成り下がるのだ。



稀勢の里がなぜ格下に負けるのか疑問に思っているファンもいると思うが
真相はこの立ち合いにあるのだ。

相撲ファンとして、我々は稀勢の里に一言言いたい。

強くなりたいならば、立ち合いで自ら手を降ろして勝つ方法を覚えろ。

卑怯な立ち合いでその場しのぎの勝利を手に入れてファンにぬか喜びをさせるものではない。

(見慣れすぎた表情。メンタル面の弱さは生まれ変われないと改善されないか?)
e0065456_22303196.jpg


我々は稀勢の里に期待しているからこそ、彼の卑劣な立ち合いについてあえて忠告するものである。

稀勢の里よ
横綱に対し、無礼な立ち合いを繰り返し、横綱キラーと呼ばれて本当に満足なのか?

本当に強くなりたいなら横綱に対する立ち合いを覚えろ。
スタートはそこからだ。

さて、今場所の稀勢の里は例の「特典」を利用し
またもや卑劣な立ち合いで横綱から白星を得たが
「特典」がもらえない力士にはあっけなく敗れる失態を演じた。

これでも来場所は綱取りが続いていると言われている。
すなわち優勝すれば横綱昇進らしい。
これだけの「恩恵」を得ているのだから
日本人横綱待望論を願う頭の弱い大相撲ファンのためにも是非頑張ってもらいたい。
我々も改心した稀勢の里ならば、無条件で応援したい。
がんばれ。稀勢の里。
[PR]
# by _hanako311 | 2013-07-21 22:33 | -----------
e0065456_1127855.jpg


まず最初に。父親殺しの小説、それがカラマーゾフの兄弟です。
この本はドストエフスキーが畏怖してきた暴君の父親がテーマになっている。
彼の父親は実際に殺されています。
ドス氏は父を憎み、父を軽蔑し、父を怖がり、そして父を愛してきた。
その4つの感情が、4人の登場人物に反映されている。
この4人こそがカラマーゾフの兄弟なのです。
つまり4兄弟はすべてドス氏の分身なのです。

本作の「カラマーゾフの妹」には、さらに4人のほかにもう1人の兄弟がいた、という設定になっている。ちなみに私は本家の「カラマーゾフ」は読むたびに抱腹絶倒しています。ドス氏が描く「ホフラコワ夫人」や「白痴」のリザヴェータ夫人など、ドス氏はこういうキャラをユーモアに描くのが抜群にうまい。「妹」は登場人物が同じでも、ユーモアのセンスが欠けているのが残念でした。本家ではイワンですら気の利いたジョークを言う。(アリョーシャにキスされて盗作だぞと叫ぶシーンなど)しかし、それはそれとして、「妹」は大胆不敵な本家の続編でありながら、非常にまじめな推理小説だと思いました。


意外な犯人、という前提で考えると
清らかな性格の持ち主で、誰からも好かれるアリョーシャが犯人だろ?
と思う読者はきっと多いはずです。そしてその通りなのです。
だから特に衝撃は受けません。しかし伏線が意外と多い。

イワンの二重人格だとか三重人格というのも
イワンを犯人だと思わせようとしての手段だと思う。
謎解き重視の映画や推理小説では、ときどき、犯人を捜しているはずの主人公が実は多重人格者で犯人だった、というおきて破りのオチがある。また、足の不自由なリーザを犯人に思わせようとする大胆な試みも面白いアイデアだと思った。


結論を言うと、作者はアリョーシャを犯人にした。

私が思うに、この作者はカラマーゾフの兄弟を何度も読んでいるうちに
アリョーシャのような聖人君子なんて世の中にいるわけねえだろうがっ!
と不満を持ち続けてきたに違いない。

たしかにそうだ。私もその考えには賛同する。

白痴のムイシュキン公爵は、白痴ゆえに自意識が存在せず、美しい人間になりえたわけだが
アリョーシャは自意識がある。
自意識があって無条件に美しい人間などこの世に存在するはずもない。
偽善に違いない。

とはいっても、アリョーシャファンは多い。


そんな読者を挑発するがごとき、アリョーシャを連続殺人魔に仕立て上げた。


しかもゾシマ長老を殺したのもアリョーシャに仕立て上げている!


見事だ!ここまでやってくれると逆に痛快だ。

おそらく本家の愛読者であった作者は
ついにその続編を描くことにより、日ごろの鬱憤を晴らしたのだ。 

説得力はあった、と思う。

殺人の最大の動機は、「正義」である。

「罪と罰」でラスコーリニコフが考え出した犯罪哲学とある意味では似ている。

大いなる善行を行おうとしている人間は、たった1つの犠牲など気にも留めない
ということです。

つまり愛する兄弟を救うために何のためらいもなく父親を殺害した。

アリョーシャの強すぎる正義感と強固な精神力がそれをさせたのだ。

ラスコーリニコフは殺人後、精神が崩壊した単なる凡人だが
アリョーシャはナポレオンの素質があった、ということである。

皇帝暗殺、といアグネードも「大いなる善行」の1つとして描かれておりロシア国民を救うために、皇帝の命を奪おうとするアリョーシャの「正義」がいかに狂信的なのかを読者に訴えかけている。そして皇帝と父親を対比させており、アリョーシャには正義を実行するために、彼らを殺す動機があったのだと暗示させているのだ。


足が悪いから妻を愛する、しかし足が治ったら愛が冷める
というアリョーシャの「慈善」も皮肉っている。

よほど作者はアリョーシャの「偽善」が嫌いなのだろうか、
アリョーシャの末路はさらに悲惨だ。
両足と右腕を失い、左腕のひじから先、そして右目を失い、
脳に損傷があり言葉もしゃべられない人間にしてしまっている。
私には見事としか言いようがない、素晴らしい小説でした。
[PR]