本誌評価は★★★★☆ 4.5点
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まず守り人とは何か?
それは主人公バルサが誰かを守るという意味がある。
バルサの職業は用心棒。しかしいつも無料で誰かを守っている。
ある意味で働いていない。
彼女はボランティアで守ってばかりいる。今回守る相手は、「神」である。
今回は絶対に守れないだろうという確信はあった。
守るべき相手が絶対に死ぬという予測ができたからだ。
ちなみにこの章は、ドラマにもなっている。
タイトルは「悲しき破壊神」です。
もうすでにタイトルが結末をネタバレしていると言っても過言ではありません。
最初から嫌な予感がバリバリしていました。
今回守るべき相手、アスラという女の子は、死亡フラグが立っていた。
まず彼女は冒頭で大量殺人を犯す。
この時点で彼女の死ぬ確率は急上昇しました。
なぜならば、古今東西、どんな物語にも法則が存在するからです。
それは罪に対する罰が必ず含まれているという法則です。
例えば、敵キャラが改心して主人公に寝返ったとしても
その敵キャラは最後に主人公を守るために自己犠牲で死んだりします。
そして主人公は「あいつは良い奴だった。安らかに眠れ」などと、ほざきます。
これが「罪」を犯した人間に対する「罰」です。
映画、小説、漫画、すべてにおいてこの法則は成立している。
どんなに善人に生まれ変わっても、メチャクチャに人を殺しまくっていた過去があれば
最後の結末は自己犠牲が一番多い。映画「レオン」もそうだ。
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殺し屋稼業の男が改心しても最後はああいう結末になる。
「おまえは実は良い奴だ。しかし罪は償おうね」という法則だ。

従ってアスラも殺されはしないだろうと予測したが
必ず、誰かをかばって死ぬなどの決着になるだろうと思っていた。
一番想像できたバットエンドは、「バカアニキを守って死ぬ」という結末だった。
作者もそれを意識していたのかどうか分からないが
やはりアニキが後半になって危ないことになってくる。
アスラを守ろうとして、逆にてめえがピンチになっている。
ふざんけんなよと当然アスラファンの私はハラハラドキドキとなる。
この時点で作者の思うつぼというわけだ。そして考え抜かれたエンディング。
恐るべし上橋ファンタジー。
アスラが生き残るわけでもなく、死ぬわけでもないという結末は見事です。
あとは読者にお任せというわけです。
あれが精一杯のハッピーエンドでしょう。
神の守り人はファンタジーであるがゆえに
神=アスラ=無敵の存在として描かれることが許されている。
アスラは絶対的な強さを誇り、世界を滅ぼすことも可能な万能の神として描かれている。
また彼女自身は自分の能力を怖いとは思っていない。
罪の意識もない。漫画アキラに登場するテツオみたいに
むしろ覚醒した能力を使うことに酔いしれるようになっていく。このへんが不気味だ。
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利用されているとはいえ、だんだん彼女が危険な存在になっていく描写が巧い。
可愛いアスラちゃんが狂気の笑みを浮かべながら力を発揮していく。
だからアスラを殺した方が平和を保てるという意見が善人の側からも出てくる。ここが奥深い。
また上橋作品は、ステレオタイプの悪人は存在しない。
バルサと戦う悪役側の行動も読者を納得させる哲学が含まれている。
シハナという女のラスボスも奥深い心理を持っている。
私利私欲や名声のためではなく、己の信念に基づいてアスラを利用しようとする。
ある意味でシハナさんは国を救おうとしている。
アスラという子は、世界を滅ぼす神であると同時に、世界を救う神でもあったわけです。
アスラはナウシカに出てくる巨神兵と同じような存在である。
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アスラは徹底的に利用される「兵器」として描かれている。
アスラを神さまとして敬おうとする連中
アスラを兵器として利用しようとする連中
アスラを危険分子として抹殺しようとする組織。
そしてアスラを人間として守ろうとする者たち。
1人の少女を中心に悪と善が入り乱れての人間模様。
これは決して子供向けファンタジー小説ではない。
この作品も大変面白い。大人だからこそ読んでもらいたい。
絶望的と知りながら少女を守ろうとするバルサはやはりカッコいい。
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e0065456_1446539.jpg9点 人為的に犬にウィルスを感染させ、人に噛ませることによって、 大量感染を引き起こす無差別テロの話。ファンタジーとミステリーとウィルスパニックが融合し、奇跡の傑作となった。噛まれても感染する者としない者がいる。犯人の目的はそこにあった。壮大すぎて一歩間違えれば大風呂敷。しかしうまく決着をつけた。





e0065456_2144181.jpg10点 シックスセンスやスティングと同じくらいにラストが衝撃的だった。そしてヒューマニズムにあふれていた。まさかウイルスパニック小説でここまで感動するとは思わなかった。賢い読者はもしかしたら途中でこの謎に気がつくかもしれない。そうなると、小説の楽しみは半減するだろう。こういうとき、自分の鈍感さに感謝したくなる。見事に騙された私は幸せ者だ。



e0065456_21102574.jpg10点 世界で一番有名なウイルスパニック小説。ノンフィクションである。怖いと言われているがそうでもない。むしろワシントン郊外の街でこんな事件が本当にあったのかと思うと、滑稽さを感じる。人間は本当におもしろい。事実は小説よりも奇なり。これぞ人間劇。







e0065456_2183821.jpg9点  蚊にさされたら感染するというのが怖い。自然宿主を探すまでの謎解きはたいへん面白い。国策であるワクチンの予防接種に反対していた住民たちの末路が皮肉的。ウイルスがじわじわと広がっていく描写が秀逸。さすが直木賞作家。見事な娯楽作品に仕上がっています。日本最高のウイルスパニック小説。






e0065456_21114461.jpg8点 生物兵器は貧者の核兵器と言われているが、本作はアメリカにとんでもない細菌をばらまこうとしたテロリストの物語。それに感染したら、脳がやられて、自分の体を食べはじめる。見たこともないほど残酷な描写が多いが、特に患者を解剖するシーンが圧巻だった。単純に怖い小説という意味ではこれがNO1だろう。





e0065456_2114272.jpg8点 耐性菌は今後も世界各国で必ず深刻な問題になってくる。背筋が寒くなる話だった。タミフルの効かない耐性ウイルスしかり。生物の基本は、たたかれれば、たたかれるだけ、その環境にアジャスト(適応)して強くなる。それは人間だけではなく、細胞やウイルスにも言える。つまり免疫力がつく。抗生物質の乱用がそれを引き起こす。平凡なタイトルで損をしている小説。





e0065456_21185129.jpg5点 街が閉鎖され、隔離されてしまうという本格的なパニック小説。どんな手段をつかってもペストから逃れようとする新聞記者、ペストの来襲を喜ぶ犯罪者、ペストは神の試練だと説教する神父、ペストと戦い続ける超人的な医者など、人間描写の重厚さは圧巻である。ただし、あくまでも文学作品なので面白さのみを追求する読者にはむかない。






e0065456_15141796.jpgアンドロメダ病原体・・6点 未知の病原体は、通常、熱帯雨林から発生する場合と、バイオハザードによって発生する場合が多い。しかしこの物語は、宇宙から発生する。典型的なSF小説だが、ジュラシックパークの作者なので説得力がある。ウイルスよりも、スーパーコンピューターのほうが手強かったのが笑えた。




e0065456_1515337.jpg黒い春・・4点 真菌症の話。感染しないのであまり怖くない。夫婦愛は感動できる。パニックものというよりも謎解きの要素が強い。しかしそのうち話がどんどん大きくなっていき、聖徳太子が出てくるあたり、少しやりすぎだと思った。
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今は猫も杓子も3D。犬も歩けば3Dに当たります。しかし一方で、3Dブランドを利用し、儲かればそれで良いとい名前だけの劣悪な3D映画もあります。3D映画を愛する私は悔しい。観客はせっかく期待して3Dを観たのに、偽物の3Dを観て、「なんだ3Dとはこの程度か?ならば二度と見ない」と思ってしまう。だからこそ乱立する3D作品を本物と偽物に区別して、公正に評価することは大切でしょう。
以下の3D批評を、皆様がたの参考にしていただければ幸いです。
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ゼログラビティ 8点
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3D映画をみて「飛び出た」「あまり飛び出なかった」という基準で評価する者がいるが
それは違うのだ。3Dとは「奥行き」という特殊効果により
観客にその場にいるように疑似体験させることに主眼が置かれている映画的技法なのである。
ゼログラは観客に宇宙を疑似体験させることに成功した。
まさにアバターのキャッチコピー「観るのではない。そこにいるのだ」を彷彿とさせる出来栄えだ。
未来の映画は必ず疑似体験型へと移行するだろう。4DXや3Dはその序章である。
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パシフイックリム3点
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私はこの映画に10点をつけた。しかし3D評価は3点とする。
はっきりいって2Dで観ても3Dで観ても特別な変化はない作品だ。
あとから知ったことだがこれは後付け3Dだという。やはりそうかと思った。
ちなみに私は4DXでこれを観たが、観客の背中をボコボコに殴ってくる椅子には驚いた。
3Dと4DX、いずれも一過性のブームではないと考える。
この映画は観客が殴られることを実際に体感させることに重点が置かれているのである。
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カールじいさんの空飛ぶ家 1点
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最初から3Dありきで作られたものではなく、後付け3D。
後付け3Dとは、タイタニックやスターウォーズなど
2D映画を後でとってつけた3D。いわゆる付け焼刃である。
「なんちゃって3D」という言われ方もする。
ストーリーを重視すると3Dは破たんする典型的な例です。
空を飛ぶ家というシュチエーションが3Dとフィットすると安易に思った結果は悲惨です。
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ベオウルフ  5点
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私が初めて観た3D。正直驚いた。冒頭から人が串刺しになったり
血しぶきが飛び上がる。やはりごはんに梅干しが合うように
ホラーには3Dが実に合う。アバターと同様にCGを駆使し
限りなく実写に似せて3Dを作成している。従って3D度は非常に高い。
もちろん2Dで観ても何の意味もない映画です。ドラゴンの3Dは圧巻です。
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アリス・イン・ワンダーランド  3点
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アバター同様に大成功を収めた3D映画。
この3Dを観て実写3Dの限界を感じた。実写3Dはレベルが低い。
実写3Dとは本物の俳優に3Dを融合させた作品。
アバターのように実写に似せたCGやアニメでないと現時点では3Dが生きてこない。
しかし、3Dとはすなわち空間づくりのマジックである。
観客にその場所に実際に存在して立っているように思わせるのが魅力だ。
従ってワンダーワールドを3Dにしようとしたコンセプトだけは高く評価したい。
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Disney's クリスマス・キャロル  8点
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おそらく3D映画の中でも1,2位を争うぐらい金をかけた3D映画。
そして3Dの出来は最高レベル。妖精とともに走る3Dは圧巻だ。
興業収入は悪いが3D映画としては高く評価したい。
現時点では実写よりも、アニメによる3DがNo1という事実を
証明した秀逸な3D映画だ。遊園地のアトラクションが2時間続くと思って結構。
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トイ・ストーリー3 2点
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ストーリーは1流。3Dは3流。まさにそういう作品だった。
何度もめがねを外して3Dか2Dか確かめたぐらいひどい。
そもそも3Dを念頭に作られた作品ではないために、
なんちゃって3Dの部類に入る。こういう3D映画は
3Dを期待する観客にとって詐欺に等しいとだけ言っておく。
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バイオハザードV:リトリビューション 7点
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3Dとは奥行きである。奥行きとは空間づくりである。
すなわち3Dは世界観の構築のための手段として重要な役割を果たす。
ゆえにバイオシリーズのように独特な世界観を持つ作品に3Dは相性がいい。
それと同時にアクション映画と3Dは成り立たないというジンクスを見事に破ってくれた。
斧魔人戦は3D映像の1つの可能性を切り開いた記念すべき偉業である。
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戦慄迷宮3D  0点
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1つ分かったことがある。日本の3Dは絶対に観るな。
貞子3Dを観るなどもってのほかだ。まだ日本の3Dは他人に見せられるレベルには
達していない。どれほど悪態をついても本当にひどいのだから仕方ない。
3Dブランドを利用し、儲かればそれで良いという作品が多くなり観客を失望させている。
真面目な3D映画を製作する会社にとってはこれは営業妨害に等しい。
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ヒックとドラゴン  6点
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脚本が良いから思わず3Dも高評価しがちだが、3D評論家の私は無責任なことは言わない。
3D映画には葛藤がある。すなわち脚本重視のために視覚効果をそり落とすか
それとも視覚効果のために脚本を変更するかの二者選択をしなくてはいけません。
本作品は脚本重視のため3D効果が物足りない。
2Dで見ても3Dで見ても面白いというそんな3D映画はじつはレベルが低いのです。
2Dで見たときに悔しいと観客に思わせる3D映画こそが真の3D映画のあるべき姿です。
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トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン 10点
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アバターを上回る3D。つまり史上最高の3D。
昔、愛知万博で観た近未来の映像を観ているかのようだった。
脚本はしょぼい。しかしだからといって世界最高峰の映像を貶める権利は私にはない。
3Dファンの第一人者を自負する私があえて現時点では最高の3Dと言いましょう。
脚本重視の映画は3Dにはあわない。視覚重視の作品こそ3Dにはあう。
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アバター 9点
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誰もが知る3D映画の大御所。3D=飛び出る映像という常識を覆した功績は大きい。
奥行きを重視した映像により、パンドラという星の世界観を
見事に作り上げ、観客に疑似体験をさせた手法は賞賛に値する。
実写3Dの弱点を補ってCGによる実写に似せた3Dを作成した。
何から何まで革命を成し遂げた奇跡の作品。
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塔の上のラプンツェル 10点
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アバターが奥行き重視の3Dならばラプ子は質感重視の3Dだ。
髪の質感、草木の質感、3Dの新たな可能性を切り開いてくれた革命作品。
3Dを前提とした脚本が練られたラプ子はまさにキングオブザ3D。
1つ1つの映像が3Dであることを前提として作られている。
3D史上で最も美しい舟の上のシーンは号泣必死。非常にレベルが高い3Dだった。
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ライフオブパイ 4点
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3Dにしたい気持ちは痛いほどわかる。素晴らしい海の躍動感を是非3Dで!ということです。
しかし本当に3D効果が生きていたのはトビウオのシーンぐらいでした。
人物が実写の3Dはどうしても見劣りする。2Dで観たら10点。3Dだと5点。そんな映画です。
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悪い3Dと良い3Dの見分け方

悪い3D映画
・名作映画は3Dには合わない。つまり脚本や人物描写を重視する作品は
 そのために視覚効果をそり落としている。
 名作で視覚効果まで高い映画など存在しない。どちらかが必ず犠牲にされるのだ。
・実写3D映画は3D度は低い。ハリポタや有名な海賊映画の3Dが上位にランキングされる理由は
 単に作品そのものが評価されているだけである。あれを3Dとは言わない。

良い3D映画
・バカ映画と呼ばれる作品は3D効果が高いケースが多い。すなわち脚本を台無しにしてまでも
 徹底的に視覚効果を追求した作品である。
・アニメ3Dは今のところ3Dレベルは最高峰。実写3Dはまだ技術が確立されていない。
 しかし実写に似せたCGの3D映画(アバター、クリスマスキャロルなど)はレベルが高い。
・実写でも、明確な世界観を作り出そうとしている3D映画は見どころがある。
 例:アバターのパンドラ星。アリスのワンダーワールド。バイオのダークな世界観など。


なお、3D映画はブームにあらず。3D映画は未来そのものである。
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# by _hanako311 | 2016-04-30 20:18
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まず、この小説を読む前に自意識とはなにか?ということを調べてから読んだ方がいいです。
また、主人公=ドストエフスキー本人と思って読んでもらって結構です。
偉大な小説家は往々にして過剰な自意識を抱えた人間であることが多い。
三島や太宰、芥川などがその典型です。3人とも自殺しています。
つまり、「自意識」とは苦しみ以外の何物でもない。
さらに若者の死因のトップは自殺です。
その過半数は自意識が原因の自殺です。
ところで自意識過剰とは何か?
鏡ばかり見ている人
お化粧チェックが頻繁すぎる人
そういうふうに解釈している人もいるでしょう。
自意識=自らを意識する時点で苦悩が始まる。
自意識過剰という言葉を一番簡単に説明すると、「自分が他人にどう見られるかを考えすぎること」です。これだけじゃなぜ苦悩したり自殺したりするか分からないでしょうからこれから展開していきます。

「誰かに悪口を言われているような気がする。」←これも自意識の苦しみの1つ。
「悪口は言っていません。誰もあなたのことなんて気にしていませんよ」と言っても、
他人が自分のことを○○と思っている、そういうふうに考えてしまう。
ドストエフスキーの小説でよく目にするセリフ
→「おや、あなた、今、私を見て笑いましたね」
勝手に深読みして自分は侮蔑されたと感じる登場人物たちが多い。
ひどいときには「おはよう」と挨拶しただけで怒り出す登場人物までいる。
このようになぜ、人の目を気にしすぎるのかと言えば、自分に自信がないからです。
なぜ、自分に自信がないのかと言えば、自己評価が低いからです。

では次に「桐島、部活やめる」という映画と自意識について説明します。
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この映画は若者特有の過剰な自意識が描かれています。
学校という場所は、派閥と上下関係が存在する。
その中で生徒たちは、自分が他人からどのように見られているか?
どのように評価されているか?
どのグループに所属すれば評価が上がるか?
そればかり気にして一喜一憂しています。
彼らは格下の生徒を見下し、同レベルの生徒と友だちになり
格上の生徒に媚を売る。
彼らが同じ生徒たちに優劣をつけたがる理由は自分を肯定するためです。
不安から逃れるために自らを区分けし、ランクで理解しようとする。
この年齢の子供たちは自己評価できない。
ゆえに他人の目を気にした行動をするようになり
「この生徒じゃ僕と釣り合わない」
「この生徒と喋ると俺のレベルが下がる」と考え、
自分の立ち位置に神経をすり減らす。

これが自意識の苦しみです。

大人になると、しだいに他人が下す自分の評価よりも、自分自身を客観的に評価できるようになる。そして自分を肯定できるようになる。たとえば根暗なら根暗を受け入れられるようになるし、チビならチビを受け入れられるようになる。背伸びしなくなる。虚栄心は希薄になり、それだけで自意識の苦しみから解放される。

しかしドストエフスキーや三島のように終生に渡って自意識で苦しめられる人はいる。現代ではさらにそういう人が増えている。だからこそ、地下室の手記には需要があるのだ。これは笑い事である。


もう1つ自意識について例題を出して説明します。三島の「金閣寺」に2人の障害者が描かれている。
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そのうちの1人、足に障害を抱える柏木はある女に愛されていた。
柏木はその事実についてこう説明する。
「彼女は俺の内翻足(障害をもった足)を愛しているのだ」 

卑下は自意識の弊害の1つです。

自分が他人をどう思うかよりも、他人が自分をどう思うかのほうが気になる
愛することよりも愛されることに執着する。
そのために自分が他人からどう思われているか徹底的に分析し、勝手に他人の心を深読みし、その結果、被害妄想に陥る。つまり、極端な卑下は強すぎる自意識の裏返しなのである。

それは罪と罰のマラメードフしかり
カラマーゾフの兄弟のフョードルしかり。
極端に自分を卑下する登場人物はドストエフスキー作品の十八番とも言える。
その原点が地下室の手記における主人公であり
だからこそ、本作品はドストエフスキーの作品を読み解くカギとまで評価されている。

地下室の手記の主人公は、自分は賢い人間だが韜晦しているふりをしているだけというスタイルを保ち続ける。なんとか自己を肯定しようとしている。しかし、自分の化けの皮がはがされてしまうことを恐れて世に出られない。現代のひきこもりとは違います。彼のひきこもりは精神的な防御のためのものです。ただ虚栄心はしょせん虚栄心に過ぎず、過剰な自意識を抱える人間は、「自分とはなにか?」という問いかけを100万回繰り返し、その結果として自分を卑下する方向に突き進むのである。
過剰な自意識を抱えるものは、愛してほしいと心の中で叫びながら、実際に愛されるとそこから逃避しようとする。彼らは愛するという本能が希薄でありながら、愛する人から自分がどのように思われているかに執着しすぎるのだ。他人の評価で頭がいっぱいになる。他人の視線に神経をすり減らす。

カラマーゾフの兄弟にはドストエフスキーの父親がモデルのフョードルが登場する。
彼は他人からひっぱたかれるなど侮蔑を受けたら、かえって感激してその相手にキスをしたくなるという男です。道化師と言われています。
その心理もやはり自意識なのです。
繰り返しますが自意識とは、他人にどう見られるかを考えすぎる心理なのです。
相手から殴られて怒ったら相手の思うつぼ、殴られて笑った方が相手の言いなりにならない。これが他人の目を意識したパフォーマンスなのです。一見すると異常に思えますが我々が子供時代から読み続ける漫画の世界では、登場人物は敵から殴られたら常に笑います。
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本来は他人が自分のことをどう思うか気にならないならば、笑う必要がないのです。
殴られて痛いときは素直に顔をしかめればいいのです。
不愉快なことを言われたら怒った姿をみせればいいのです。
しかしここで笑うのが自意識なのです。それが人間の心理なのです。
この自意識こそが人生の苦しみの最大の原因なのです。
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相撲ファンが注目した昨日の白鵬VS稀勢の里 
このブログで両者の立ち合いを何度か説明してきたが
またもや両者の立ち合いは乱れてしまった。

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世間が注目する一番において
ここまで乱れた立ち合いを何度も見せられたら、相撲ファンはもう怒らない。
怒らずに、嗤う(わらう)だけである。
まずその事実を、稀勢の里本人に伝えておこう。

ではさっそく昨日の立ち合いをふりかえろう。
一部の無知なる若者が「横綱が立たなかった」と批判している。
しかし、そうではないのだ。大相撲の歴史は江戸時代までさかのぼるが
横綱に対する格下力士の立ち合いは、礼儀が伴う。

横綱と対する格下力士は、立ち合い時、両手を手について待つ姿勢を取る。
そして横綱が立った瞬間、格下はそれにあわせて立つべきなのだ。
それが大相撲の長年続いたしきたりであって、伝統なのだ。

(日馬富士と稽古する稀勢の里。血だらけである。)
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相撲の伝統の話をしたが、では稀勢の里の立ち合いはどうだ?

一番よくないのは横綱より、先に立とうとしていることだろう。
この非礼は万死に値する。
少しでも有利な立ち合いをしたいとい下衆な気持ちが見え隠れする。
われわれはいつものことだが彼のエゴイズムに暗澹たる思いをさせられてしまう。

相撲ファンは稀勢の里を応援しつつ、心底では、卑しい力士だと軽蔑していると聞く。
その理由は彼の立ち合いの狡さにあるのだとすぐ推測できる。
碧山に負けたのも、立ち合いの乱れである。
彼が負けるときはいつも立ち合いのミスであることは、
疑いようがない事実であり、誰1人として、その事実を否定できないだろう。

稀勢の里の強さは誰もが認めるところだ。
しかしなぜ卑怯な立ち合いを繰り返すのであろうか?
彼が相撲の神様に愛されない理由は、相撲の文化を冒とくした罰なのではないか?

稀勢の里は横綱キラーと言われるが、肝心な一番では勝てない。
相撲の神様から愛される白鵬と、愛されない稀勢の里。
この事実は実力差だけでは証明できない。
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相撲は勝てばそれでいいのか?

それは違う。

相撲には伝統がある。

文化がある。そして礼儀があるのだ。

(相撲の伝統を軽んじた朝青龍。稀勢の里は同じ道をたどるのか?)
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稀勢の里が横綱に勝てないのは仕方ない。
しかし、正々堂々と戦うことを放棄し
われわれの愛する相撲の伝統を軽視した傍若無人な立ち合いを繰り返す限り
われわれ相撲ファンは、彼に対して嗤うことで応えよう。

稀勢の里は横綱と対戦するときは、両手をしっかり地面について待つ姿勢を取るべきだ。
そして、横綱が立ち上がったらそれに合わせる動きをしなくてはいけない。
それが相撲の伝統なのである。
それが日本の文化である。
それがわれわれ日本人が守るべき礼節なのである。

いつか稀勢の里が日本人の心を持った力士なってくれることを願うばかりである。
横綱白鵬の正々堂々とした立ち合いから学ぶべき点は非常に多いはずだ。

特に、遠藤の横綱白鵬に対する立ち合いは真摯であった。
稀勢の里は新鋭力士から立ち合いを学ぶことを忘れてはいけない。
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# by _hanako311 | 2014-05-23 20:52