カテゴリ:舞城王太郎(2)( 2 )

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芥川賞候補になるためには、下読みたちに好かれなくてはいけない。
なぜか舞城は下読みたちに好かれている。
しかし芥川賞の選考委員たちが文句をいう。
そしてこう言う。「下読みはしっかり仕事をしろ!」

私自身、舞城の阿修羅ガールを読んで、怒りのあまり、発狂しそうになったことがある。
私を心底怒らせたのは、もちろん、舞城の描いた「うんこパン三世」の記述である。
三島由紀夫を中傷した罪は限りなく重い。

しかし今回、芥川賞候補作「ビッチマグネット」は大変面白かったです。
当然のことながら舞城は心に傷を抱えた女性である。
(私と数人の読者だけがその真実を知っている)
彼女は男に対する不信感が強い。その男とは当然のことながら父親を意味する。
ドストエフスキーが父親殺しの小説で、文豪の地位を確立したように
彼女もその屈折した思いを文学へぶつけることによって昇華させている。
彼女の描く家族愛なるものは、現実では救えなかった己の家族を
小説のなかで救おうとしている行為に他ならない。



子供が親から受ける心の傷について。


子供はその心の痛みを「なかったこと」にしてしまうことがある。
本作品の主人公もそうだった。どうやって「なかったこと」にしたのかといえば、
親が不倫を犯そうが
失業しようが
殺人を犯そうが
自分には関係ない。自分には関係ない。自分には関係がない、と必死で自己暗示をかけること
それによって自分の心が、親から傷つけられることを、一時的に避けることができる。
しかしそれは心から血が出なだけで、じつは内出血をしている。
いずれ大人になったとき、その時の内出血が原因で苦しむことになる。

これをトラウマという。

主人公は気が狂ったように弟を殴るシーンは、心の傷が表面に表れたことを意味している。

人間はダメージを受けた場合、それが肉体的なダメージであろうが精神的なダメージであろうが
ちゃんと「痛い、苦しい」と泣いたり叫んだりしたほうがいい。
それを「なかったこと」にしてしまうと、心が内出血を起こす。
そうなると、後々、もっと大変なことになる。
弟の家族論と姉の家族論、どれも作者の思想だ。
いずれにせよ、人間の心を一番傷つける存在はやはり「家族」なのだ。
家族愛、家族は素晴らしい、しかし家族愛こそ人間の心に致命傷を与える。
愛しているからこそ心が傷つく。
それを回避する方法は、宗教に走るか、自殺するか、小説を書いて自分と向き合うか。
そのいずれかでしかないと思います。
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びっくりするほど面白くなかった(きっぱり) 
三島由紀夫賞を受賞したので読んでみたけど、これはひどい(泣) 
宮本輝じいさんが文句を言うはずです。→チェック

前半はまだマシだった。でも途中で文体が変わります。 
もうムチャクチャです。東京から、魔界??に行きます。
臨死体験なのかもしれませんが分かりませんでした、いや分かりたくもなかった。
これも計算づくだ、という批評もありますが、冗談じゃありません。 
これは文学どころか、漫画よりもひどい。2チャンネルの世界です。
普通に読んでいたら、急に字が大きくなります。 
どのくらい大きくなるかといえば・・・・

このくらい

に、大きくなるんですよ?考えられますか?これが作者の作戦なんですか?
それともあそこは笑う場面なんですか?

「うわー文字が大きくなった、あははは♪」と笑えば良かったのでしょうか。

もしかして私には笑いのセンスがないのかな(汗) 
本文を一部抜粋しますので笑えるかどうか皆さんに確認をお願いします。 

「ウンコパン三世。ウンコパ~ン、デ、デレッデ。ウンコちゃ~ん。
や~ねウンコパン駄目よウフフこんなところで。うっしっしっしっし。
もうた~まらないのよウンコちゃ~ん」 

・・・・・・・・・。
どうでしょうか?私はこの文章を読んで、笑うどころか凍りつきました。
それともこれも計算されつくした現代文学の姿なのでしょうか?
三島由紀夫賞に相応しいのでしょうか?

もし、亡くなった三島由紀夫があの世でこの文章を読んだら
ショックで生き返るかもしれません。

私にはウンコパン三世と
三島由紀夫の関連性が皆目見当がつかないのです。




いやはや、読み終えたときは、しばらく茫然自失の状態でしたよ。
「金返せ」と文句を言いたいところですが、図書館で借りてきた本なのでそれが言えないのが悔しいです。・・・。
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