カテゴリ:宮尾登美子(5)( 5 )

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宮尾さんが17年をかけて完成させた渾身の小説。
読み終えたときはほとんど放心状態でした。
恥ずかしながら、読破するのに2ヶ月もかかってしまった。
しかし不景気で自殺者が増加している現在において、こんなすごい小説が
わずか460円で読めてしまう世の中は、
もしかしてそんなに悪い世の中じゃないのかもしれない。

「篤姫」ばかりが有名になってしまった宮尾さんですが、
彼女の代表作はまぎれもなく、「一絃の琴」だ。


女性が琴を習う小説です。しかし退屈な主婦が趣味で琴を習う話じゃない。
琴に全人生をかけた2人の女性の生き様が描かれている。

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これが一弦の琴である。一本の弦をひき渡しただけの楽器。
一弦琴では琴を弾きながら唄うのが基本になっている。
*「絃」という漢字が正式だが、「弦」のほうが一般的かもしれない。

鳥肌がたった場面は、一弦琴の師匠が、命が尽きる寸前に完成させた名曲「漁火」を、主人公の前で演じたとき、まるで本の中からメロディが流れてきたような錯覚に襲われたシーン。

それから蘭子がライバルの雅美と琴の勝負をする場面でも、活字を読んでいるだけなのに、なぜか音楽がどこからとも聞こえてくる。蘭子が必死の形相で、ライバルに負けまいと琴を弾いている姿が鮮明に目に浮かんでくる。

また、琴職人の紋之助がつくった伝説の琴を、ついにを主人公が手に入れたときは、感動のあまり、思わず立ち上がってスタンディングオベーションしてしまった。その琴をつかって、主人公が雅美の前で伝説と呼ばれた「漁火」を披露したとき、雅美はぼろぼろと涙を流す。思わず私ももらい泣きだ。
小説だからもちろん音は出てこない。
だけど活字の行間から音が聞こえてくる。すごく不思議だった。


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一弦琴はいずれは滅んでいくのかもしれない。いやもう滅んでいるかも?



苗は主人公にしては地味で性格もおとなしい。宮尾ワールドではありない主人公だと思っていたら、後半は主人公が交代する。もう1人の主人公蘭子は、出世欲が強くて、ぎらぎらしていて、性格も悪い。そして苗を死ぬまで許さなかった女性なのですが、なぜか嫌いになれない。
心にすごく深い傷を負った女性だからかもしれない。


「苗が死んだ年齢よりも長生きしたい。苗の年齢に達する前に死んだら私の負けだ」


というようなことを彼女が言ったとき、彼女の怨念の深さを感じました。
蘭子の死に方は壮絶すぎて非常に考えさせられました。一弦琴って当然のことながら、古い時代の楽器なので、たいしたことはありません。


ただし、小説ってやはりすごいですね。
すごくない楽器が、想像力という力によって、とんでもなくすごい音楽を生み出す。 

この小説を読んでいて、いくつかのシーンで、
音楽が本の中から湧き出てくる不思議さを実感しました。


ちなみにこの小説は実話に近い。
従って「漁火」も、演奏されたテープが残っており、
それがウエブサイトに公開されているという。

「漁火」ではありませんが、ユーチューブより、一般的な一弦琴の音色です。
実際に音を聞くと幻滅してしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=xIZBcGalrYc


やはり想像力に優る音楽などありえない。

NHKでもドラマ化されている。
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この小説のポイントは、2人の女性の子供時代から老人時代までの人生が細かく描写されていることです。そして2人とも、一弦琴によって、深い傷を負い、「一弦琴なんてもう二度と手にしない!」と思っている。


それなのに数十年もたったあと、突然、自分が心から一弦琴を愛していることに気がつく。


「思い出」というのが1つのキーワードになっています。

あなたは自分の人生を豊かにする心から大好きなものを持っていますか?
という問いかけが含まれているかのような物語でした。
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作者の渾身の自伝小説であり出世作です。
宮尾作品は篤姫をはじめとして、主人公が養子だったり、捨て子だったり、
親を知らないケースが多いのですが、その理由がようやく分かりました。


この小説の主人公は妻。
夫はヤクザで商売は人身売買。しかもDV夫。
不満があると妻をボコボコニ殴る。最悪です。
それでも主人公は夫を愛している。
妻の名前は喜和といい、宮尾さんの母がモデルである。
つまりこの小説は作者の母の視点で描かれている。

ところでこのバカ夫、こいつは外で浮気をして子供を作ってしまう。
男は生まれたばかりの赤ん坊を、妻の喜和に育てさせようとする。


この赤ん坊は後に綾子と名づけられ、宮尾さん本人がモデルだと言われています。
(宮尾登美子氏)柔和な顔だけど彼女の描く女性は気性が激しい。
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喜和は当然のごとく、「他人の産んだ子供など絶対に育てたくない」
といってヤクザ夫に抵抗しますがまたボコボコに殴られます。


妻の一番嫌いな女が産んだ子供を育てさせるというのが1つのポイントです。


こういう展開は三浦氏の「氷点」と似ていて非常に残酷だ。周りの人はストレスを解消するために、引き取った赤ん坊を「おしん」のようにいじめろと助言する。しかし予想に反して喜和は綾子をいじめたりはせずに、むしろ実の子以上に深い愛情を注いで育てていく。この部分は実話だと思います。なぜなら作者の小説では、この部分だけはどれも共通しているからです。母に対する感謝の念が溢れている。

その一方で宮尾さんは父を否定的に描いている。
彼女の場合は、母を傷つける極道の父親をどうしても赦せなかったに違いない。
物語のなかで幼い綾子はそんな凶暴な父親にむかって、刀を抜き、必殺の覚悟で挑んでいく。
ここが最大のクライマックスシーンです。久しぶりに泣きました。


ここで問題になってくることは、どんなに娘が母を愛していても血がつながっていないことです。


そしてどんなに娘が父を憎んでいても血がつながっていることです。


自伝小説というだけあって、ラストは非常に現実的で切ないです。


もしかすると・・・
作者は現実では救えなかった人を自分が描く物語の中で救うために
小説家になったのかもしれません。


「蔵」を読んではっきりその事が分かりました。
あの小説は願っても叶えられなかった想いを叶えるために描いた小説なんだと─。



家族の一員として認めてもらえなかったのは綾子ではなくて、じつは母の喜和だったのです。


作者の小説には実の子以上に愛してもらった母親に対する感謝の念と
その母親を救えなかった無力な自分に対しての悔恨の念が交錯しています。
ありがとう、ごめんなさい、この両方の心の叫びが聞こえてくるのです。

(その後の綾子(作者)の人生が描かれている自伝小説の続編)
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「蔵」とは酒蔵のことで、簡単にいえばお酒を製造する場所、つまりこの話はお酒をつくる家族(蔵元という)の物語ですが、お酒自体にさほど意味はありません。なぜならば、物語の本質は、酒蔵を通して、女人禁制の男社会のなかで、必死に生きる女性を描くことにあるからです。そういう意味では作者の代表作「天障院篤姫」と通じるものがある。あの話も封建社会という吐き気がするほどのクソッタレの究極の男社会で生き抜いた女性が描かれている。 

(蔵)
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お酒造りに女性がかかわると穢れるといいます。その理由は宗教的な意味があるらしい。相撲の世界も女性が土俵に上がると穢れるというが、それを「伝統」だとウソぶいている。つまり女性が蔵元を引き継ぐということは、女が相撲部屋の親方になると同じくらい大それたことだった。ましてや14歳で失明した女の子が、父にかわって「蔵の親方」になると宣言するわけですから、読者に「ほんまかいな」と言わせないだけの説得力が必要になってくる。その説得力がこの小説の最大の魅力なのです。娘が蔵元になるために、父親を説き伏せるシーンは涙なくしては読めません。


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よく親のせいで子供がぐれてしまったという話を聞くが、反対に弱い親だからこそ、強い子供が育つ場合がある。父の意造はうつ状態になって毎日めそめそ泣いている。娘のほうはある日、目が覚めても、なかなか朝がやってこないのは不思議だと思っていたら、じつは失明していた。彼女は急に目が見えなくなったことを父親が知ったらショックを受けてまた病気になるだろうと心配し、失明したことを隠そうとする。この時点では私は滂沱の涙だ。

しかしこのダメオヤジが、目の見えなくなった娘に勉強を教えているうちに、しだいに人間性を取り戻し、親らしくなっていくところは非常に見所がある。


誰かを救おうとすることによって自分が救われることがある。


盲目の娘と足の不自由な父親が
一緒に杖をつきながら散歩するシーンはじつに絵になる素晴らしい描写だ。


最初から立派な親はいない。


子供によって、親は一人前の親に成長していくのかもしれません。



加穂という女性。彼女は我が子に障害があることに悲嘆して、我が身を犠牲にして子供を救おうとし、そして死んでいきますが、別な見方をするとこの人は自殺に近い形でこの世から逃げたのだと思う。自分が死んで子供を救うことなど決してできません。死ねば「無」しかありません。生きてこそ、子供を救うチャンスがあるのです。感情的に子供のために死ぬことは育児放棄に過ぎません。

それから佐穂という女性。一生子供を生めず、最後まで結婚できなかった女性。彼女こそ真の主役でした。この女性は最後まで不幸だったのではなく、じつは最初から幸せだったのだと気がついたのは最後の2行を読んだときでした。私にとってこの小説は究極のハッピーエンドなのです。
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「大奥」にどっぷりはまってしまった。
大奥関連の書籍を読み漁り、今ではすっかり私は大奥のスペシャリストである。

大奥総取締役という地位は実際には大奥にはなかったそうです。
これは大奥のなかで誰が実権を握っているかを分かりやすくするために後からつくられた言葉でした。基本的には「御年寄」というナンバー2の地位の者が大奥の実権を握っていたと言われています。しかしあの幾島でさえ、大奥に入ってからは御年寄の地位です。
(NHKドラマにおける幾島)
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新参者の幾島が大奥を仕切っていたと思いますか?もちろん違います。それに対して幾島と大喧嘩した瀧山はこの当時、御年寄よりももっと低い地位でした。しかし瀧山がこの時から大奥を仕切っていたのは明白です。

(NHKドラマにおける瀧山。彼女こそディス・イズ・ザ・大奥総取締役)
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このように大奥では地位と権力が一致していない。
瀧山の前の大奥総取締役は姉小路というすごい女性。彼女は「御年寄」ではなくて
上臈御年寄だった。その地位は位だけ高くてなんの権限もない。
それでも大奥を掌握していたことからも分かるように非常に複雑なのです。
そのために奥総取締役なる呼称が用いられるようになったのだと思います。

大奥の主は御台所(将軍の奥さん)ですが実際には将軍の生母が一番の権力者であったようです。しかし篤姫の場合は写真をみても分かるようにゴッドファーザーよろしく、ゴッドマザーのように気性の激しい性格だったので御台所でありながらすぐに大奥を掌握するようになったようです。
(実際の篤姫。体格がすごく良くて声も大きくて他人を威圧する。典型的なボス)
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(NHKドラマの篤姫。実物と全然違う。和田あきこにオファーを出せば・・)
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篤姫が本当にカッコイイと私が思えた瞬間は大奥が滅亡した後です。
大奥の最高権力者が「ふつうのおばさん」になってしまった。
しかし彼女の存在感は最後まで薄れることはなかった。

時代は大奥が滅亡し、明治になり、文豪夏目漱石があらわれる。
彼の傑作「我輩は猫である」の中でなんと天璋院篤姫が登場します。
篤姫の猫好きが影響したのかもしれません。
漱石と篤姫は同じ時代を生きた人だったんですね。

篤姫が育てた徳川の息子はもう少しで明治政府で総理大臣になるところでした。
しかし明治政府における徳川政権は幻に終わりました。

徳川の世の中が終わってふつうの女性になってしまったのは
天璋院だけじゃなくて和宮内親王もそうでした。
私は小説の彼女しか知らないのですがとにかくプライドが高くて
自負心が強い女性に感じました。
それが「ふつうの女の子」になったあとはすごくさっぱりした感じで
篤子とざっくばらんに話す様子がほほえましかったです。

(徳川将軍ですら畏怖させた抜群の血統を持つ和宮)
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いつの時代も女性たちはバカ男たちに翻弄され続けています。
それは徳川の時代であろうが明治政府であろうが同じです。
しかし彼女たちは現状を受け入れて気位を失わずに生きている。
身分を失っても以前と同様の輝きを放っている女性たちをみて私は感動したのです。

私はそういう女性の生き様を見事に描いた宮尾登美子という作家を
尊敬せずにはいられません。
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