カテゴリ:三島由紀夫(5)( 5 )

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三島由紀夫の肉体改造の過程を描いた話なのですが、文章が多少難解でした・・
ナンカイ読んでも難解でした。 

小説というよりも、むしろ身体哲学書という雰囲気を醸し出した作品であります。


彼の言いたいことはようするに、「頭がいいだけじゃ駄目やで」ということでしょう。
いわゆる「文武両道じゃないとあかんのや」ということです、はい。 
石原慎太郎に、こういう三島を語らせれば、自意識過剰のナルシストということになるのだけれども。


(一部本文抜粋)
私が「私」といふとき、それは厳密に私に帰属するやうな「私」ではなく、私から発せられた言葉のすべてが私の内面に還流するわけではなく、そこになにがしか、帰属したり還流したりすることのない残滓があって、それをこそ私は「私」と呼ぶであらう。「あるべき肉体」「あるべき現実」は、絶対に言葉の関与を免れてゐなければならなかった。その肉体の特徴は、造形美と無言といふことに盡きたのである。  


いやぁ、分かりやすい文章です。
(ウソ)
真面目にこの文章の意味を考えてみると、三島は「言葉」を職業にしているにかかわらず、言葉に対する不信感を抱いているようです。彼の肉体改造の思想は、その反動かもしれません。しかしそんな難しいことを考えながら筋トレしてもうまくいかんやろうね。清原の肉体改造のように、な~んも考えないでやったほうが良いとおもふ
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三島由紀夫とは東大法学部を卒業し大蔵省で働いていたエリートです。

そんな彼が「仮面の告白」という自伝的な小説を発表し
自分はゲイだと告白します。

タイトルからその意味を連想すると
24年間仮面をかぶり続けてきた私は本当のことを告白します・・
ということでしょうか。

つまり24歳で三島はこの作品を書いた。
大蔵省から小説家に転向というのもすごいドラップアウトですが
小説の内容も衝撃的です。そして、かなり痛々しいです。

「わたし」という一人称で書かれている。
主人公の男は体育の授業で鉄棒をする先輩の男に恋をします。 
彼は何に強く惹かれたのかといえば「肉体」でした。
主人公(著者)は、逞しい肉体を持った男のみに性欲を感じる。
三島は当時、貧弱な体の持ち主だった。
そのせいで逞しい肉体に対する憧れの気持ちが非常に強かったようです。

そしてその逞しい肉体が血が出て傷つけられる様子に
興奮していたといいます。
たったこれだけの説明だと変態だと思われそうですが
もっと、もっと奥が深いので読んで欲しい小説です。

晩年(晩年といっても若いですが)の彼はその反動で
すごい筋肉マンになっています。
そのナルシストぶりやすさまじいもので
私はいつも彼の小説を読んで自意識の弊害を感じずにはいられません。
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(潮騒のモデルとなった鳥羽市神島町)


文章を読むだけで、海の匂いが感じられます。
人物の内面描写がほとんどありません。
ヘミングウェイの小説のように、徹底的に外面描写を重視した作品だと思います。

しばしば美しい光景が目に浮かんでくることもありましたが
私はちょっと読みにくかった。
韓国のドラマみたいに甘い純愛小説です。

恋する乙女なら喜んで読みそうですが、私には、もうこういう小説はきつい(苦笑)
美しい女性と逞しい海の男の恋愛小説なのですが
女性の描写はあまりなく、男の裸体の描写に異様に力を入れていたように思います

この小説はあまりにも清清しいので
私のようにディープな読者になってくると、少し物足りない。
もうちょっと毒があったほう良い(^^ 
でも他人には無難にお勧めできる小説ですね。

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いつもの三島由紀夫と違って難しくない本でした。
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主人公が精神分析医で、精神分析の話ですが
娯楽要素がとても強いので楽しめます。

自分がいま、なにを考えて、どう行動しているのか
ということは、自分自身のことだから分かると思いがちですが
じつはそうじゃないと思う。

精神分析医は、そういう人の抑圧された部分を炙り出そうとする。

日記などをつけている人は、よく分かるかと思いますが
書くことによって、ときどき自分でも思ってもみなかった本当の
自分の心の中が見えてくることがあります。

この小説は
自分の心の奥にひそむ意外な本音は
自分でもなかなか分からない、ということが分かります。
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この小説には2人の障害を持った男が登場します
強く印象に残るのは、内翻足(両脚の奇形)の障害を持った柏木という男でした。
彼には恋人がいましたが、こんなことを言っています。


「彼女は俺の内翻足を愛しているのだ」


同じく吃音の障害をもった主人公に対しても


「吃れ。女はお前の吃りに惚れるかもしれないんだ」


とけしかける。
障害というコンプレックスを持ったことによって
強烈な自意識過剰となっている。
愛することよりも、愛されることばかり考えている。 
ひとことで、自意識、といいますが、その解釈はなにやら色々あると思うので
ここではもっと具体的に説明します。 

自意識=他人からどのように自分が見られているのか意識すること

だと定義します。 

たとえば、高校生が寝癖のはねた髪の毛が気になって仕方ないことは
自意識過剰だと言われます。

大小の差はあれ、誰もがこの自意識に苦しみ
時には自殺に至ることすらあります。

三島由紀夫はこれほど自意識の障害を理解していながら
なぜ自意識によって滅ぼされたのでしょうか。

彼の将来を案じさせる「憂国」という小説は
割腹自殺の美しさにこだわっています。
その美しい死にかたは、他人を意識したものでした。
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