カテゴリ:村上龍(7)( 7 )

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限りなくピュアで潔い愛の航跡。ニューヨークからシンガポールへ、萌子の愛の追跡が始まる…。すべてを捨てて愛を貫く女の物語(解説より抜粋)

本作は女優が主人公です。彼女は好きな男を追いかけて、シンガポールにやってきました。ラッフルズホテルはシンガポールの高級ホテルだそうです。1泊いくら?庶民の私にはワカリマセン。





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(ラッフルズホテル→)

映画では主役を藤谷美和子が演じています。私にはそちらのほうが衝撃的でした。

これは村上龍が監督をして映画にしたものを小説化した作品なんですね。
まずはシンガポール・ラッフルズホテルという映像ありき、という作品じゃないでしょうか。


泊まりたいじょー
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これはラブサイコストーリーだという。いったいどういうジャンルの小説やねん、と突っ込みをいれたくなるところですが私は好きな小説ですね。

かんたんにいえば映画「危険な情事」と同じだと思ってください。

この手の物語は女性の怖さばかりにみんな注目する。本作は男に突然襲い掛かる病的な女が出てきます。「危険な情事」では不倫のもつれによって男を恐怖に陥れる女という物語だったので観客は「怖い女だった」と口をそろえたように言いますが、私は女性に「人格」を与えずにああいうふうに一方的に女性だけを悪者にするのはずるいと感じました。村上龍の本作では、こわい女を描いた物語であっても、ちゃんと女性に人格が与えられていた。だから好きなんです。この小説は男の間抜けさが強調されているように思います。 女性の中身を見ようとはせずに、うわべだけをみて女性を愛していると思い込んだ勘違い男が女性に復讐されるという見方もできる。


村上龍らしい作品です。

女性の怖さよりも、女性の悲しさを描き


そして女性を理解しようとしない男たちへの警告



という見方を私はしました。
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セックス、暴力、ドラッグなどを描く著者に拒否反応を持つ人が多いが、この小説を読んでそういう表面的なことしか見えてこない人はどうせ肌にあわないだろうから、もうこれから彼のほかの小説も読まないほうがいいと思うし、この小説を「女性への警告」だと評した男尊主義者がいたがそれはとんでもない誤解であり、女性のことをいつまでも男より下に見ている人にとって村上龍などは敵にしか見えないのじゃないかと思う。そんな著者が描く女性像はドストエフスキーが描く純粋で無垢で罪を背負った女性と似ている。

それは女性への警告どころか

究極の女性賛歌だ。


SM嬢を描くことが女性賛歌?


と思った人は「SM」こだわりすぎ。


龍ほど女性に対して


温かい視線を送っている小説家は


日本にはいない



と声を大にして言いたい。
まずなによりトパーズに登場する女性たちは誰よりも美しい。ウツクシイという概念は普遍的なものじゃなくて人それぞれだろうけど、美しさの中に自分に対する罪を自覚している女性を私はウツクシイと感じる。たとえば傑作「レ・ミゼラブル」に登場する売春婦ファンチーヌ、「罪と罰」の娼婦ソーニャなどマグダレンな女性たちは素晴らしくウツクシイ。このウツクシイ女性たちのことを、「女性は子供を産む機械だ」と発言した大臣のように男尊思想が豊富な愚かな男たちほど激しく憎む傾向にあるのが男社会のやむえない実情であり、常に女性の理解者である村上龍に敵が増えることはある意味で必然的なことなのかもしれない。小説の見方は十人十色。「トパーズ」をエロいとしか感じなかった人はそれまで。娼婦を娼婦という記号でしか見れなかった人は哀しい人。わたしはあたたかい小説だと感じた。
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むかしフランス人の演出家が、横浜の赤レンガ倉庫で、この小説をダンスミュージカルにした舞台があったそうです。 まったくすごいことを考える人がいるものです。この小説は奇抜です。

主人公がいません。
たとえば最初に太郎くんが登場して彼の物語がはじまります、その物語が一段落したときに太郎君の横を花子さんが通り過ぎました。そうすると今度は花子さんの物語がはじまります。そうやって道で誰かが誰かとすれ違うたびに主役が変化していくという小説です。

登場する人物はみんな病んでいる。
子供のころの心の傷(トラウマ)をひきづって大人になった人ばかりでした。わが国では1日に100人以上の人が自殺する。 人間は不思議なもので、戦争中は生きていられるだけで泣くほど嬉しいことだったのに、いまは自分の存在理由をぐだぐだと考えて、それだけで苦しみ、そして死のうとする。むかしは生きるだけで必死だったので、トラウマになっているヒマなどなかった。戦争が終わったら今度は水と食料を手に入れることで必死になって働いていたので、このときも心の傷がどうのこうのといっているヒマがありませんでした。しかし生命の安全が確保され、水と食料がなんなく手に入り、誰もが最低限の生活を送れるようになってくると、今度はうつ病で苦しみ始めます。

それが今です。
わたしは何かおかしいと思う。
私自身がときどき何もかもが嫌になっておかしくなってしまうこともあるが・・・。

でもわたしは解決策を知っている。
それを知ったのも小説のおかげだと思います
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エクソダスとは「脱出」という意味です。
たとえば、エジプトの圧制から、モーゼが国民を連れ出して
杖で海を裂いて、逃げ出した「あれ」が、この小説における「エクソダス」
という意味合いと似ている気がします。 

小説の内容は簡単に言うと、バブルの後遺症から立ち上がれない日本で
国家システムからエクソダス(脱出)を試みようと考え、見事にそれを実行した
中学生たちの話です。 2000年に書かれた本なので
好景気と言われている今読むと、ちょっとピンとこないかもしれません。 

もっと具体的に、「中学生のエクソダス」とはどういう意味かを説明しますと
彼らはインターネットを通じて集まった中学生のネットワークをベースにして
ビジネスを開始します。それがあっという間に、金融・産業等に
影響を及ぼす経済価値を生み、巨大なビジネスネットワークになっていきます。
そのネットワークの呼称がASUNAROで、会員の30万人?80万人?
の子供たちは、学校と家族を捨て、北海道に移住し、独立国のような組織
を作り出す・・という感じだったような・・。 

こんな中学生たち、いるわけないじゃん

と思うのですが、ようするに、希望を失った教育の現場から
中学生たちをエクソダスさせることで、より一層、今の教育の問題点を
炙り出そうとしているのかもしれません。

いま考えるとその部分だけは、村上龍の先見性がキラリと光りますね。

後はようするに、世の中なんて、くそったれだ
と不満が胸の内に渦巻いている人や
バリバリの左翼の人が読むと共感ができる小説だと思います。

昔のわたしだったら、興味深く読んだでしょう。
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21歳のKYOKO(キョウコ)は、ダンサー。
昔ダンスを教えてくれた男を探しにニューヨークに行く。
そういう話です。

私の記憶する限り・・・

主役のキョウコの台詞は、なかった気がする・・。

いや、あったかもしれない(どっちや!)
この女性は、小説のなかで、ひとことも喋らなかったと思う。
もちろんキョウコの心理描写もない。

すべては、キョウコを騎士道精神で守ろうとする男たちが一人称で
「キョウコ」という女性を語り、ストーリーは進んでいく異色作。

具体的には・・・
「オレはキョウコが暑いと言ったのでジュースを買ってきた」
「わたしはキョウコの悲しそうな顔をみて死にそうになった」
「ぼくは、キョウコの嬉しそうな声を聞いて、恥ずかしくなった」

と、こんな感じの一人称で進んでいきます。

この手法で思い出したのが、井上靖の「孔子」という小説
あれもたしか、孔子の弟子が一人称で、師を語る物語でした。

村上龍は、キョウコを、孔子かイエスキリストのように
神聖な人間にするためにこういう手法をとったのだと思います。

その試みはうまくいったようで、多くの読者が
キョウコを理想の女性として評価しているようです。

私はこんな変わった小説をあまり読まないのですごく新鮮でした。
本当に、この作家は、器用な人だとおもう・・・
自称天才の、村上龍が、本当に天才に見えた小説です。
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村上龍としては異質の作品。

この人は、いつも現状は悪い、
と言ってそれで終わってしまう小説が多かったのですが、
今回は明らかに違う。 

現状を描くだけではなくて、最後に新たな家族像を示している。 

村上は本書でこう解説している。 

この小説は、救う・救われるという人間関係を
疑うところから出発している。
誰かを救うことで自分も救われる、
というような常識がこの社会に蔓延しているが、
その弊害は大きい。
そういった考え方は自立を阻害する場合がある─。



この小説には、ひきこもり、DVなど暗く重いテーマが描かれていますが、
再生への道標がしっかりと提示されている。

だからカタルシスを得ることができる。

「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。」
「一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」 

小説のなかの、この言葉をどう受け止めるかは、人それぞれです。

私などは、キリスト教的に、「人は生かされている」と思うほうなので、
自立する、というのは、個人の驕りだと思うときもある。

しかし・・・・・

支えあって生きていく、ということと、依存しあって生きていく

ということは、非常に判断がつきにくい。

村上が考える「自立」というのは、
依存しあってきた今までの家族共同体を否定することだと考えます。
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