カテゴリ:宮本輝(12)( 12 )

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作者が「オトコの不倫」をことごとく肯定的に描くのは、きっと、亡き父親を肯定する意味合いが含まれているから仕方ないと思っている。
そこで作者がオトコの浮気を肯定するパターンを分析しました。

パターンその1
オトコの不倫に寛大な女性をたくさん描く、だからオトコがまったく悪者にみえない。

パターンその2
オトコはそれでも妻と子を愛しているのさ、と男をパパにしてしまう。

パターンその3
不倫相手の女性にたくさん援助して自己満足する(意外と多いパターン)


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こういうのは、100,000歩ゆずって我慢するとしましょう。


だ、け、ど、ね、



どうしても許せないことがあります。 それを言ってやる。


この作家はあまりにも
女性に理不尽だ!

女性が同じ不倫をした場合、この作者は豹変します。
オトコの不倫はジョークをまじえて肯定的に描くのに女性が同じことをすると、
淫乱扱い、尻軽女、魔性の女にしてしまう。

なぜでしょうか?
この小説においては、主人公のオトコは、妻の死後、昔不倫していたヒロインと再びつきあいはじめる。節操がないけど、まあそこまでは我慢できる。だけどね・・そのヒロインが別な男と内緒でつきあっていると疑わせる場面があります。

主人公のオトコは、それを裏切りだ、とほざいているのですよ!!
おまえはどうなんだ?妻とヒロインと同時に2人の女性とつきあっていたじゃないか、それなのに女性が同時に2人の男性とつきあうのは裏切りというのか?とにかく主人公の身勝手な被害者意識にイライラさせられる。オトコの不倫は甲斐性だが、オンナの不倫は裏切りなのか?もしかして男尊主義者なのか?そもそもヒロインは独身だ。そんなヒロインにたいして、「僕は君のなんなのさ?」なんて、やかましい。メソメソせずに、愛人にでもしてもらいなさい。しかもナチスの秘密警察みたいにヒロインにオトコがいないか嗅ぎまわっている。あげくのはてに、それはオトコの勘違いだったというオチまでついている。冗談じゃない。

そのうえ、パターン1の法則にしたがってヒロインに
「4年前、あなたと不倫していたとき、わたしには感謝の気持ちがたらなかったわ」とまで言わせている。言わせるな!!

このパターン1はかなり問題があると私は思っている。
女性を悪く言う場合も、オトコの口からそれを言わせず
女性の口から「女性は生まれたときから意地悪なのよ」というふうに、
巧妙に女性を貶めている。何度もこういうパターンを観てきたがついに切れました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こういう作者が、江國香織の「東京タワー」なんて読んだら憤死するのではないだろうか?
私にヒットラーのような権力があったら、むりやりでも読ませてみたいところだ。 







ふううう・・・・・




これですこし、すっきりした。くれぐれも輝ニストにチクらないでください・・
なお、ブログ炎上防止のため、コメントはできないようにしてあります♪
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川三部作の3人の主人公はすべて作者本人がモデルになっていると考えます。
まず「泥の川」の時代設定は昭和31年。主人公は9歳。
「蛍川」の時代は昭和37年。主人公は中学3年生(15歳)。
そして「道頓堀川」は昭和41年。主人公は19歳。

こうやって並べてみると、時代と年齢がすべて一致していることに気がつくはずです。
そして宮本輝は昭和22年生まれ。したがって、3作の主人公の年齢と合致します!!

では次に3部作の主人公(つまり宮本輝)の「父親」に焦点を絞ってみてみます。
1作目はほとんど父親は描かれていない。2作目は突然、冒頭から母親を殴る父親が描かれています。そしてこの父親が病院で死ぬシーンがあり、中学生である主人公は悲しむよりも、冷めた目でその様子をみている。作者は父親についてこんなことを言っています。

「衝突しようにも相手(父親)がいなかったからね、僕(宮本輝)が衝突する力が出てきた時には、よその女の所に行ってましたからね。で、結局、そのまま亡くなりましたから。」

3作目では父が亡くなったあとの物語。しかしこの父親は亡くなった後も息子(宮本輝)に強い影響を与えている。生前、父にお世話になった人間たちが次々と登場して、息子に経済的な支援をするのである。これは一部実話も混じっているそうです。そういう経験をして、作者は自分にとって父親とはどういう存在だったのだろうかと改めて考え始めたのかもしれない。そして、自分を愛し続けてくれた父親と最後まで和解できなかったことに対する悔恨の思いが募っていた─と考えられなくもない。「流転の海」シリーズはその思いが原動力になっている気がする。作者にとって「父親」は畏敬に値する人物だったのではないでしょうか。(あくまでも独断と偏見です)

次に1~2作目と3作目の違いについて。文章は3作ともレベルが高い。
しかし3作目は、少しあたたかみというものが無くなってきている気がする。

人間に対して厳しくなってきた。

これは彼が傾倒する宗教と関係があるのかもしれない。
「道頓堀川」で印象に残るのは、浮気した妻を夫が蹴り、数年後にそれが元で妻が死んでしまうという箇所です。作者は罪を持った人間に罰を与えている。わたしは作者がこのように言っているような気がしてならない。

「それはあなたの業(ごう)だ、あなたが悪かったからそうなったのだ、天罰(罰)が下されたのは、悪い行い(罪)があったに違いない」

その後の作者の作品は決まってこのような因果応報が含まれているように感じる。
それが良いか悪いかの是非は問いませんが、作者はなんらかの使命を持って、読者にそれを伝えようとしているということだけは感じます。

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半自伝小説「流転の海シリーズ」もいよいよ佳境にはいってきたようです。
宮本輝は最終的に自分の父親(熊吾)にどんな決着をつけるのか興味ぶかいものがあります。
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(大阪:大黒橋) 本作は川よりも橋の描写に重点が置かれている
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阪神ファンが時折、飛び込んだりすることでニュースにもなる「道頓堀川」は、大阪の象徴的な川ですが、その川は見るからに汚れきっている。こういう川を舞台にした小説を書いても、あまり「絵」にならないのではないかと考えてしまうのですが、川三部作の共通点は、あくまでも生活に密着した川が描かれていることだと思います。

作者は川辺で生活する人間模様を描いてきた。本作はその川辺の喫茶店「リバー」で住み込みのバイトをしている邦彦という学生の視点で、彼にかかわる人間たちが描かれている。邦彦は19歳。父親はすでに亡くなっているという設定。たぶん川三部作の前2作同様に、今回も主人公は、作者の分身だと思われます。


邦彦の年齢当時の宮本輝は、事業に失敗した父親が亡くなった後であり、母と息子は、父の残した借金の取り立てから逃げるようにして転居している。しかし彼はそこで母親と一緒に住む家には寄り付かず、道頓堀界隈をふらつき、酒と博打に明け暮れる日々を送るようになったと言います。そういうところが、家を出て住み込みで生活している邦彦と重なる。

この作品ではあまり邦彦の過去には触れていない。父親の愛人だった女性と邦彦の不思議な交流が描かれていることと、彼の父親にお世話になったという店主が描かれているくらい。どちらにせよ家族を崩壊させた父親に好意を持っていた人物たちが次々に登場して、父親のことをあまり良く思っていない息子にいろいろ世話をするというところが面白い。親父が死んでいると知っているにもかかわらず、「オヤジさんのツケで食べはなれ」と邦彦(宮本輝) に言ってくれた店主の話は実話らしい。


川三部作の最終章である「道頓堀川」は、川よりも橋のほうが印象に残った。
水の都と言われている大阪では、よく考えてみれば当然のことかもしれない。
ここの住人の場合は、橋を利用しない生活は考えられない。
小説の中でも川より橋の描写がかなり多い。
たとえば、戎橋を渡ってリバーに歩いて来る武内の姿を見つめている邦彦のシーンや、大黒橋の上でのシーンなど。

 戎橋の次が道頓堀橋、その次が新戎橋、それから大黒橋に深里橋や。ほんでから住吉橋に西道頓堀橋、幸橋となるんやけど、その辺の橋に立って道頓堀をながめてると、人間にとっていったい何が大望で、何が小望かが判ってくるなァ

という台詞が印象に残ります。
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(富山県 いたち川)
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「蛍川」は、まだ雪が残る冬の終わりからはじまり、サクラの咲く春を経過し、そして蛍が出没する初夏までの北陸を舞台にした色彩豊かな物語です。

時代は昭和37年3月の末という設定ですが、小説の冒頭では3月末でありながら「あさ、雪がふっていた」という文章があり、北陸育ちの私は少し驚きます。現在北陸では3月末に雪が降ることは滅多になく、それどころか残雪すら存在しないし、ましてや4月に大雪が降るなどありえない。私などは毎年、確定申告(3月15日)の時期には、すでに車のスダッドレスタイヤを外しているくらいです。これも温暖化が進んでいるせいなのでしょうか、キリマンジャロの雪が溶けてしまったのもそのせいだと言われているし、北陸も昔と比べると冬の厳しさは徐々に和らいできている気がする。(それとも私の脂肪が増えて寒さに鈍感になっているせいか?)


「蛍川」は北陸地方の富山県を舞台にした作品ですが作者は北陸の人間でありません。宮本輝(作者)は父親の仕事の都合で、子供のころ、この地に引っ越してきて、一時期だけ住んだ経験を持っているだけで、もともとは大阪の人です。(愛媛にも住んでいたことがある) つまりこの作品は、あたたかく、明るい西国で育った人から見た北陸だということです。そういう事情を理解した上で読み進めていくと、北陸育ちの人間には当たり前すぎて気がつかないものを、外部の人が、巧く描いていると思えてきます。

灯台もと暗し、というわけではありませんが、北陸と北陸ではない地域に住んで、「比較」することによってはじめて本質を知ることはある、たとえば外国に行って、はじめて日本人が「日本」を実感するのと同じように。


ここで描かれる父親は作者の父親であり、息子は作者本人だと予想できる。彼の父親は事業に失敗し、家には全く帰らなくなり、35歳の愛人宅に入り浸りになり、その後脳梗塞を起こし倒れ、最後は精神病院の中で狂死したといいます。そんな父親を、若い頃の作者は敬遠し、父親のほうは、自分を避ける息子を哀しい目で見ていたという。

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(蛍の乱舞は実際みるとあまり綺麗ではない。むしろ気色悪いかもしれない)

いよいよ蛍を見に行こうというシーンでは

蛍の大群は、滝壷のそこに寂寞と舞う微生物の屍のように、はかりしれない 沈黙と死臭を孕んで光の澱と化し、天空へ天空へと光彩をぼかしながら冷たい 火の粉状になって舞い上がっていた

という文章があります。批評家からは、「リアルティがない」と色々言われたそうですが、リアルティを追求したものではなく、作者の豊かな想像力の勝利でしょう。
とても幻想的なラストシーンでした。
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「泥の河」は宮本輝のデビュー作であり太宰治賞受賞作。
娯楽性は乏しくミステリーの要素もありませんが、文章の格調は高く、読者の想像力を刺激する緻密な外面描写は秀逸です。

本作は子供の視点で描かれており、大人には踏み込めない「子供の世界」が印象に残る。父親や母親も登場するのですが、まるで子供とは別の世界に住んでいる住人に見える。作者は2つの世界を明確に線引きして描いているように感じました。

舞台は昭和31年の大阪。

「もはや戦後ではない」
という力強い宣言が出された年で、日本は復活したかのように見えました。しかしこの作品のなかの「大阪」は戦争の傷がまだ癒されていない。登場する人物の誰もがまだ自信を回復していないように見えます。

特に印象に残る人物は、学校にも通えず廓船で暮らす貧しい姉弟たちです。母親は娼婦でした。しかし主人公の家族は彼らにあたたかい視線を与え続けている。多分主人公の家族たち自身も、傷ついていたのだと思う。このころの宮本輝は傷ついた人間特有の他人に対する共感と、それに伴うやさしさがあった。彼は小説のなかで他人の罪や愚かさや弱さを受け入れていた。

一番この作品を評価したいのは、やはり文章の巧さです。文庫本で100ページほどの本ですが、もともと200ページほどあったものを吟味し、削りに削って100ページにしたような全く隙のない文章です。たとえば冒頭に出てくるこの文章。


「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とが交わる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋、それに舟津橋である。」

簡潔で余計な贅肉がまるでない文章でありながら、一瞬にしてそこに描かれる光景を想像させてくれる。ふつうの人だと同じ説明をするのに、どれだけ多くの文字をだらだらと費やしてしまうことでしょうか。主人公の両親が営む「やなぎ食堂」があった場所は、現在、阪神高速道路の入口となり、川べりにはたくさんの倉庫が並んでいるという話ですが、貧しくても古きよき大阪の風景が、そこを知らない読者に対してもノスタルジックな気分に浸らせてくれます。

(映画の1シーン)
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ちなみに「泥の河」は小栗康平という監督によって映画化され、日本のみならず海外的にも高い評価を得ました。(モスクワ映画祭銀賞、アメリカアカデミー賞外国語映画部門ノミネートなど)
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水の都バンコクが舞台の美しい小説です。
異国の地に日本人・・という設定は宮本輝の得意とする分野。
本作はその代表的な海外ロマンス小説?

大金持ちタイ人の愛人になっている日本人女性恵子が主役で、世界を放浪してバンコクにやってきた日本人男性が恵子の前に現れたことがきっかけで物語が動き始める(たぶん) バンコクの描写がすばらしい。生活と密着した水路がすばらしい。 光景が目に浮かぶような文章とはまさに「愉楽の園」のことを言うのでしょう。

ちなみに作者の処女作はバンコクが舞台の小説だったそうです。
バンコクに対する思い入れの深さが伝わってきますね。

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作者の川三部作(泥の河、蛍川、道頓堀川)を読んでも想像できるのですが、この人は生活に密着した匂いが漂ってきそうな川が好きなんだなぁと思います。

河じゃなくて川が好きなんですね。



作者の小説には、すぐ身近にあって自分たちのものだと思えるような親しみがわく川がよく出てくる。

イタリアのベニスも水上都市と言われていますがあれはお洒落すぎて綺麗すぎるのかも?(私は好きですが)
バンコクの場合はベニスよりも人間臭くて生活臭が漂ってくる感じがする。
つまり帰属意識を自覚させてくれるような川(水路)だと思います。 

そういうところが作者のお気に入りなのではないかと想像しながら読むと・・・さらに楽しめるのではないかと思います。 


あ、断っておきますが私はバンコクもベニスも行ったことがありません(きっぱり)
行ったこともないのによく両者を比較してそんな適当なことを言えるなと言われそうですが(^^すべて小説の中から感じた想像力だと断っておきます
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5部長編の4作目にあたります。
2007年1月時点では、これが最新刊です。
(ところで5部完結と言ってきましたが、もっと長く続くかもしれない。)

今度は富山に引っ越します。
大阪からはじまって、2部では愛媛、3部でまた大阪、そして4部で富山。 

熊吾に家族が振り回されているような気がします。 
ここにきて、いよいよ熊吾の経営は行き詰まりはじめます。
熊吾は家族を残して1人で大阪に戻り商売を続けるわけですが
うまくいかない。それなのにダンサーと浮気する熊吾。

・・・・。
宮本輝のエッセイを読んでいる人なら
この先の熊吾一家の展開は想像できると思いますが
熊吾は事業に失敗し、家族のところに寄り付かなくなり
愛人の家に居座るようになります。

そして熊吾の妻はその不安からアルコール中毒になり
自殺未遂をおこします。
息子の伸仁(つまり宮本輝)は、心の傷を受け
押入れであすなろ物語を読むように・・
というところまでいくかどうか分かりませんが
それに近い話になることは推測できます。

しかし一方でもう1つ予想することがあります。

それは・・・

熊吾とその妻を小説のなかで助けることです

昔、ジョンアーヴィングという作家が

「ぼくは現実では救えなかった人たちを物語のなかで救うために作家になった」

と言っていたこと思い出します。

宮本輝が自分の父親を最後にどうするのか興味深いところだと思います。

私はそれを見届けるためにこの小説を読み続けるでしょう。
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5部長編の3作目にあたります。

第一部からすでに

15年の歳月が流れている


と、いいますから、登場人物を忘れてしまっている人も多いでしょう。
本作は「父と子の物語」だという話ですが、いっこうに子供の伸仁が表に出てこない。
本作では息子も大きくなってきたので、頑張って走り回っていましたが
存在感がまるでない。成長した、ということは分かりますが
それだけしか印象にありません。やはり主役は父親熊吾の1人舞台のような感じです。
それは3部でも同じでした。

熊吾は愛媛から大阪に商売の拠点をうつす。
また大阪に戻ってきました。
そして雀荘、中華料理店、テントパッチ工業の3つの商売を進める。
商売上手のようにみえて、丼勘定で不安定な経営を続けるが
今はまだ商売はうまくいっており、家族は明るい。

しかしこれは宮本輝の実話を元にしているわけだから
いずれは熊吾(つまり宮本輝の父親)の商売は傾き
家族は崩壊する予定だと思われます。
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5部長編の2作目にあたります。
主人公熊吾は、息子の伸仁が病弱なために、大阪から愛媛県に移ります。
よって地の星は、愛媛県で生活する熊吾一家の様子が描かれています。
空気が綺麗な田舎で息子はすくすく元気に育つわけですが
読者としては非常に退屈だといわざるえません(^^ 

これじゃあまりにも退屈だと作家自身が考えたのか分かりませんが
熊吾のライバルを登場させます。

それは仕込み杖を持ち歩く残忍なやくざの増田でした(笑)
今回は、このやくざと熊吾の対決がメインと言って良いかもしれません。
それ以外にあまり印象に残っていません。
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珍しいカバーを発見しました。
映画化の話は、寸前までいって、没になったようです。

この物語は、元夫婦の手紙のやりとりがメインなので
極端に動きが少ない。だから映画向けじゃないと思っていました。

本作は、男女の手紙のやりとりで話が進んでいく形式をとっているから
一人称で書かれています。 

つまり、男の手紙の章は、男の一人称。
女の手紙の章は、女の一人称で書かれています。

まさに手紙形式の小説ならではの手法です。

一人称は、人のこころの動きを表現しやすい書き方ですが
逆に「人間」をしっかり描かなければ成り立たない。
錦繍は、2人の主人公(夫と妻)の人間の心の揺れ動きが
うまく描かれていたと思います。 

小説のテーマは、「再生」。 
一度、挫折した人間が、再び力を取り戻して生きていこうとする話です。

出だしの文章(前略 蔵王のダリア園から~)は有名ですし
全体的にも文章の美しさが際立っています。
小説家を目指す人などには、お手本になる作品かもしれません。
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