カテゴリ:カミュ(2)( 2 )

e0065456_20284429.jpg


主人公のムルソーは人を殺して、その理由を聞かれ、太陽のせいにしました。
また彼は、母親が死んだ直後に、恋人と喜劇映画を観にいきました。 

極論になりますが
ムルソーは、人を殺したから処刑されたのではなくて
母親が死んでも泣かなかったから、「異邦人」として、社会から排除されたのだと思う。

「社会」にはモラルという暗黙のルールがあり家族が死んだら悲しむべきであり
悲しいならば涙を見せてそれを表現しなくてはいけない。
そのような人間らしいふるまいができない者は、社会から異邦人として
つまはじきにされてしまう。 ムルソーという人間の善悪が、どうあれ、なぜ彼が
異邦人にされてしまったかを考えてみる。 

誤解を恐れずにいうならば
人殺しをしても、その動機がお金を奪うためや、復讐のためなど
殺す理由があった場合は、「異邦人」とは言われないはずです。

(ただし死刑にはなりますが) 
また人を殺した後、恐怖で震える人も異邦人じゃない。

たとえば、ムルソーと同じ殺人者である「罪と罰」の
ラスコーリニコフは「異邦人」ではありませんでした。
変な言い方ですが、彼は「正常」な人殺しです。

人を殺したあと、恐怖や不安で熱まで出してしまうラスコーリニコフを見て
常識をもった私たちは安堵する。

「これこそ人間なんだ!人間は、人なんか殺したらおかしくなってしまうんだ!」

と思いたいのです。
私たちは、人を殺すということは、ラスコーリニコフがそうであったように
大変な苦労をするものだと思いたいし、殺すには殺す理由がちゃんとあると思いたいし
殺した後は狂ってしまうほど苦しむはずだと思いたいのですね。 

これに当てはまらない人間がムルソーでした。 
ふっと思ったのですが、「異邦人」のシュチエーションは
ラースフォントリアー監督の映画作品と、そっくりです。
ダンサーインザダークのセルマ、ドッグヴィルのグレース、奇跡の海のベス、
みんな異邦人じゃないですか(^^ 

私たちはいつだっていろんな場所で

「人間の定義」を勝手に決め付け

それに該当しない人を異邦人としてつるし上げている。

とくに・・

「人間らしさ」を装わない人たちが

異邦人と呼ばれやすい


のです。
私自身が、異邦人であるために、この小説はかなり恐かったです。
しかし私の場合、他人の目を意識して、いつも「人間らしさ」を演じますが・・。
[PR]
e0065456_17204326.jpg


町でペストが発生した。
感染を拡大させないために町が隔離された。
町の人々が次々と死んでいった。 
・・まあ簡単にいえばこういう物語です(^^ 

ペストというのは、「ナチス・悪」のメタファーらしいですね。
そういう難しい話はやめておきますが、この小説の魅力は
ペストが蔓延した町が密室状態となったことによる人間の心理描写にあると思います。

映画でもこういうシュチエーションの物語がたくさんありますが
ジャンルは「パニック映画」が多い。

しかし本作は、民衆がパニックになる描写は、ほとんどない。
私が記憶している限り、パニックになるよりも、町は無気力感に包まれてたように思う。

恐怖のために、人間が叫んだり、怒鳴ったり、泣いたりするのは初期の状態です。

その恐怖がずっと続くと、人間は耐えられなくなり
無意識のうちに、感情のスイッチを切って恐怖を回避しようとする。 
たとえばユダヤ人が収容所に入れられたときの状態がそうです。 
また小さな子供が大人に継続的に暴力を振るわれたら、いつしか泣かなくなり
無感情になるのとも似ている。

ペストで描かれていた民衆の心理状態は
絶叫を通り越した無気力感でした。

ただし感情のスイッチを切る=傷つかない 
ということではなく、それは内出血のように表面には表れないだけです。
ペストの終焉後、助かった人達は今度は後遺症(トラウマ)と戦うことになるはずです。

そのとき、はじめて民衆はペスト(恐怖・不安)と向き合うことになるでしょう。

ちなみにこの小説で一番興味深い人物はコタールという犯罪者です。
彼は警察に追われる身で、自殺未遂するくらい絶望していましたが
ペストが発生し、町が混乱したときに、逆に息を吹き返したかのように
生き生きしてきます。彼の心理状態がよ~く分かります。

秩序の保たれた社会生活が破壊されることによって
逆に生を取り戻す人は他にもたくさんいるのではないでしょうか。
三島由紀夫も「仮面の告白」でそれと似たようなことを
言っていたように思います。
[PR]