カテゴリ:篠田節子(8)( 9 )

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宗教とはなにか?救済とはなにか?

しつこい宗教勧誘にうんざりしている人たちにとって、創価、幸福の科学、キリスト、新興宗教、なぜ大勢の人たちが、そういう宗教団体に属しているのかその理由を考えてみた人が何人いるでしょうか。この小説が非常に評価されている理由は、読者のニーズを満たしているから。つまりみんなが知りたがっている素朴な疑問を徹底したリアルな描写で追及している。まさに篠田節子渾身の超大作です。

宗教をビジネスとして割り切って起業する主人公。宗教は人を騙してお金を搾取する行為だと批判する人もいる。しかしすべての宗教はサービス業なのです。たとえどんな嘘をつこうが、誰かの心を救ってやれば、その対価として収入を得るのは当然ではありませんか。主人公は自分のことを必要以上に詐欺師だと自嘲していますが、死んだのに生き返るキリストや、輪廻転生など、いずれも根拠のない話は詐欺とどう違うのか考えてみたことはありますか?なにが本物で、なにが偽物なのかは宗教には無意味です。ようするに、誰を救えるのか、何人救えるのか、そこに宗教というサービス業の真価が問われているものだと私は考えます。

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基本的に宗教は非科学的です。詐欺と何が違うのか私には分からない。どこの宗教の教祖も、超人的な能力をアピールしています。不思議なのは、いったいなぜそんな宗教を、ちゃんとした大人がずっと信じ続けられるのか?ということです。



主役の教祖は、化けの皮がはがれた後も、信者たちから教祖として祭り上げられた。恋は盲目と言いますが、信仰も盲目なのか。しかしこの小説を読んでいると、どうも違う気がする。信者たちは本当に非科学的なものを心から信じていたのではなく、お互いが同じものを信じることによって得られる連帯感が欲しかったのではないか。そしてこの「連帯感」こそ、宗教の本質だと私は考えます。宗教は手段。目的は連帯感を味わうことです。

以前知り合いに頼まれて、いやいやマルチ商法のセミナーに顔を出した。ある男が「この商品は素晴らしい」というと周りから一斉に拍手が沸き起こる。次に女性が「この商品を他の人にも教えて幸せにしたい」というと歓声と拍手が鳴り響く。私が同じことを叫べばみんなから肩を抱かれて「君も仲間だ」と祝福されるでしょう。もちろん私にその気はない。しかしみんな、お金の亡者には見えない。彼らはお金よりもむしろ、同じ価値観を共有しあいたいだけにみえた。みんなで同じものを好きになるというのはかなり気持ちがいいものだ。この連帯意識を味わうために、大勢の人間が宗教にハマルのだと思えてならない。マルチも宗教も本質は同じだ。と言ったら暴論だと反論する人はいるだろうか。

                       (純粋に祈るイヌ)
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ラストで主人公の教祖が解散を宣言し、各自が信仰を続ければ良いといった。もちろんそれだと意味がない。彼女らは連帯感を求めていたのだから。連帯感を高めるために最も効果があるのは、共通の敵をつくり、みんなで攻撃することです。キリスト信者であれば、「偶像崇拝は罪である」という張り紙を町中にぺたぺた貼り付けているあれがそうです。異物を攻撃することにより、仲間意識は急速に高まっていく。もし仮に宇宙人という存在が明らかになれば、私たちは人種という壁を乗り越えて、「おなじ人間」としてまとまることができる。連帯意識はこのように「異物」を作り上げることにより盛り上がる。ヒトラーがこれを一番うまく利用した。しかし信者にとって神を愛する時間よりも、悪魔を憎む時間が長いというのもおかしな話ですが、これが宗教の最大の欠陥であるようにおもう。仮想の敵を作らざる得ないことが宗教の弱みであり、宗教は危険物のようにすぐに暴発してしまう。


篠田節子の異色作「逃避行」を彷彿とさせる絶望的な逃避行が本作品にも描かれている。このへんの描写はオウム信者を思い出す。カルトの烙印を押された信者にとってまわりはすべて敵。逮捕しようとする警察。命さえ奪おうとする住民。危険な逆洗脳をかけようとする家族。みんな敵。まさに四面楚歌。いったい最後はどうなるのか?テルマ&ルイーズのように、爽快に車ごと崖からダイブして、人生とおさらばするのか。おそらく、この時点まで読んだらもう読者は後には引けない。徹夜してでも読み終えたい焦燥感に襲われることは必死です。それほどまでに作者の読ませる力は一級品でした。
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ウィルスがテーマのこの小説で知っておくべき言葉は3つある。

バイオハザード、ワクチン、宿主 である。 

まず最初に「バイオハザード」とは生物災害という意味。
極端な言い方をすればバイオハザートとは、ウィルスを退治するワクチンを開発している最中に、もっと悪いウィルスを誕生させてしまったということだと思う。この手の物語には、医者や製薬会社が悪者になるケースが多いが本作はあくまでも謎解きがメインです。


わたしはワクチンというのはウィルスを防いでくれるクスリのように考えていたが実はすこし違う。ワクチンは毒力を弱めた生きたウイルスや細菌から作られる製剤。つまりウィルスの感染を防ぐために、体の中にウィルスを入れて免疫をつけるのがワクチンである。

この小説は国策である予防接種(ワクチンをうつこと)に大反対する人々を描くところからはじまる。現実にワクチン反対派はけっこういるそうだ。それに対し作者はワクチン反対運動に懐疑的な視点で描いている。ワクチンが必要な理由はもちろんウィルスを防ぐためである。私たちはまさか自分が鳥インフルエンザや、SARSや、エボラ熱にはかかるとは思わないだろう。日本ではありえない。


だから予防接種に対して「なぜ体のなかに毒を入れるのだ」と抗議する連中がいても不思議ではないと考える。ワクチンのありがたみを実感できないのだ。
実際に予防接種は、体のなかにウィルスを入れるのだから100%無事である保証はない。


これが後進国になってくると事情はガラリと変わり、ワクチンは命を保障する重要な「恵み」となってくる。そこで作者はバイオハザードによって新型のウィルスを誕生させる。そのウィルスにかかると死ぬか再起不能になるしかないという設定にする。そうするとあれほどワクチンを毛嫌いしていた人々の態度が一変する。その様子がこの作者独特の皮肉な描写で描かれている。

ウィルスパニック小説といえばカミュの「ペスト」、または体から血を吹きだして死んでしまうエボラウィルスを描いた「アウトブレイク」がある。この手のパニック作品は恐怖よりむしろ人間の本質を描くのに適している。「夏の災厄」も人間描写が素晴らしい。それは読めば分かる。ぜひ読んで欲しい。読め(^^

本作は、蚊に刺されるとウィルスに感染し死んでしまうという恐ろしい内容になっているが、ウィルス蔓延は埼玉の一部分に限られており、壮大な話のように見えて実はそれほど大きくはない。しかしこの小説に登場する左翼かぶれの医者鵜川が、「組織の陰謀説」を唱えるから勝手に話は大きくなっていく(笑) その描写は深刻というよりむしろユーモアに溢れているから怖さの中にも笑いがある。ウィルスはいちおう日本脳炎という言葉で説明されているが、実際は正体不明の謎のウィルスである。「絶対に発生するはずがないウィルスがなぜ発生したのか?」という謎解きの要素が強い。その謎というのは「ダビンチコード」などよりは、よほど面白いと私は思う。主人公がウィルスの謎を突き止めるために、日本からインドネシアへ向かうシーンもあり、冒険要素もしっかり組み込まれている。

冬を越えることができないウィルスが何ゆえに冬のあいだ滅亡せずに生き残り、そして夏になった時点で人々を襲い始めたのか?また誰が宿主なのか?ラストで意外な宿主が発覚するまでノンストップで読んでしまった読者も多いかもしれない。宿主は非常に複雑だ。しかし宿主が判明するとすべての謎が一気に解けてしまうところがまるでパズルの完成時のように爽快だ。

「このミステリーがすごい!」の1位に私は「夏の災厄」を推薦したい。
これは良質なミステリー小説だ!
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上の表紙は無人島のイメージだと思います。さて・・・どういう物語かというと・・
36歳の独身女性3人が主人公。彼女たちは東南アジアのリゾート地へブランド漁りと男漁りに行くことになる。3人の海外旅行の目的は「ストレス発散」であった。

冒頭は海外で3人をガイドする工藤という男が主人公になっている。この工藤の視点から見た3人というのは本当にただのバカ女としか描かれていないので、読者にとっての3人の第一印象は最悪にうつる。「日本で男から相手をされない30過ぎの独身女が海外で男を漁っている」とみられていた。しかし突然3人の旅行先の東南アジアの小国で政変がおこる。一気に主役は工藤から3人の女たちへと交代する。

ここからはもうジェットコースターに乗っているようなものです。彼女たちのリゾートホテルがゲリラに襲撃され、間一髪で3人はホテルのボーイと一緒に小舟で逃げ出す。後ろから銃弾が飛んでくる。紆余曲折を経て3人が辿り着いたのは無人島であった。


そして「15少年漂流記」も真っ青の女3人のザバイバルが始まります。


最初は木を削って家を建てようとするのですが、彼女たちが持っている刃物といえば
ムダ毛剃りのカミソリ、眉毛切りのハサミのみ。。悲惨な状況の中でも笑いの多い小説でした。で、この小説はこのままずっと無人島のザバイバルを続けていくのだろうか?

と思った矢先、3人はその島でとんでもないものを見つけてしまう。3人は「それ」をみて衝撃を受ける。 な、なんと「それ」は・・!!

とてもじゃありませんがここでは言えません。読んでください♪さらに凄い展開が3人を襲うのでした。この娯楽小説を楽しめるか楽しめないかの境界線は、3人の女性に共感できるかどうかだと思う。こんな女たち早く死んでしまえ!と思いながら読んでいれば当然楽しめない。(ぼろくそにこの作品を貶す人は男尊主義の読者が多い) 私は3人の応援団になっていたので最後は感動して泣きそうになりました。

本の分厚さから分かるように内容は非常に重厚です。登場人物は多く、宗教対立、民族対立が複雑に絡み合い、政府とゲリラの争いがそれに拍車をかけ、混沌としたなかで敵と味方が目まぐるしく変わっていきます(たぶんすべてを理解できる読者は少ないでしょう)そして生きるか死ぬかの瀬戸際で3人はしぶとく生き抜いていく。日本では難民だった3人(つまり負け組み)が他人から必要とされることで輝いていくのでした。あんなに生意気で堕落した女性が最後には「密林の聖女」と言われています(笑)

ここからネタバレになりますが
この小説は邦人3人が海外で事件に巻き込まれ大騒ぎになる物語です。そして帰国後、お騒がせ連中だ!とマスコミからバッシングを受けます。なにかと似ているかと思ったらあの「イラク人質事件バッシング」とそっくりです。

本書はイラク事件の1年前に書かれたということだから本当に驚かされます。大長編ですが一気読み必死の究極の冒険小説でした。
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ハイレベルな短編集です。
そのなかの1つの「観覧車」は、恋愛の負け組みである男女が、ある偶然から一緒にのったまま、観覧車に閉じ込められてしまう話です。恋愛、そして人生に負け続けた2人の話ではありましたが、後味の素晴らしいさは保障します。私の直感ですがこの作品は「映画」にすれば、とても面白いと思う。

「灯油の尽きるときに」という短編は、介護疲れの女性が描かれています。灯油というのは実際に物語のなかで出てきますが、「灯油が尽きる」というのは、主人公の追い込まれた状況を表したメタファー(隠喩)になっています。ラストは衝撃的でした。

そして表題作の「秋の花火」は、人間が老いて「晩年」をむかえたときの姿が描かれています。主人公は高名なクラシックの指揮者という設定で、弟子から「先生」と呼ばれて慕われている。こんな感じの人でしょうか。↓(イメージ:小沢指揮者)
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しかし先生はとても女好きでした。そんな先生も、老いには勝てず体を壊して倒れてしまう。すでに先生の妻は夫の浮気の繰り返しに愛想をつかして世話もしてくれない状況なので、弟子の楽団員たちが先生の看病しようということになります。なんと先生は不自由な体なのに家に世話にやってきた楽団員の娘を押し倒そうとしました。しかしすでに老人の先生は娘よりも非力。逆に襲うとした娘に押されて倒れて大怪我をしてしまう。歳をとっても「男」に執着し、そして尊敬してくれる弟子たちの前で醜態をさらす先生。

このみっともなさ・・この哀れさ・・この情けなさ・・。
これが歳をとるということなのか。歳をとって、男が男であることや、女が女であり続けることを続ければ、こういう結果になるのではないか。つまり気持ち悪いと思われてしまう。圧巻は「トイレ」のラストシーン。小便も1人でできなくなった先生は楽団員の女性に・・・。作者はこういう「先生」を否定してはいない。むしろあたたかい視線で描いている。これは男の情けなさを描いた物語じゃない。最後の瞬間まで「男」であり続けた人間をありのままに描いている。

篠田節子は「人が老いる」ということを描くのが非常に巧い。
私は「秋の花火」という作品を高く評価します。
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主人公は長岡という精悍な中年男で、誰もがうらやむ美貌の妻を持つ。彼は新聞社に勤めており、そこで美術系の企画の仕事をしている。長岡と妻の共通点は「芸術」を愛することだったと思う。お互い美しくて綺麗なものを愛するということにかんしては価値観は一致している。しかし夫婦関係はすでに冷え切っており、妻のほうが夫よりも出世してしまったことがよりいっそう夫婦関係をぎこちないものにしている。偉大な女性を妻に持つ夫というテーマは、著者の作品の1つである「第四の神話」という作品がありますがあれと少し似ている。


しかしこの作品は、物語中盤にかけて急変する。長岡は以前からヒマラヤの小国パスキムの文化や仏教美術を愛していました。そのパスキムでクーデーターが起き、実権を握った新政府は外国の干渉をすべて排除するために鎖国状態にしてしまった。この国には世界的に貴重な美術品が多数あったが、どうやらそれらのものはこの混乱に乗じて流出されていることを知り、長岡はひどく狼狽する。クーデーター後のこの国の情報は一切遮断されていて、どうなっているのかさっぱり分からない。ついに長岡はパスキムに潜入しようと考える。

彼は新聞社の使命としてそこに向かったのではなく、1人のアーティストとしてそこへ向かったのだと思う。 

しかしどうもパスキム王国では、クーデーターだけではなく何かとんでもないことが起こっているらしいと周辺の様子から長岡は直感でかぎつける。それでも彼はバイクで問題の国に向かったのだった。

ここからがすごい。


著者のここの描写は圧巻である。


何かおこるぞ、何かとびだすぞ、


という描き方が抜群にうまい。



しかもそれは絶対に読者に分からない。とにかく「すごい」ことがあの国では起こっているということだけは、著者の秀逸な文章からひしひしと伝わってくる。一流のミステリー小説を上回るミステリーがそこにある。ようやくパスキムに辿り着いたとき、長岡は驚愕の光景を目にする。ここから長岡にとって想像を絶する運命が待ち構えていたのであった。

この小説の前半であれほど「芸術」にこだわった意味がここにきてようやく分かってくる。著者の狙いは人が持っている価値観を崩壊させることであったと思う。長岡にとっての価値観は「弥勒」でした。弥勒はモノですがこれは何かのメタファーになっています。それが何であるかは読者の見方によって違ってくるでしょう。ラストシーンでは彼は弥勒をどうしたのか?それがこの答えのない小説の唯一の答えの1つかもしれない。この物語に悪は存在しない。しかし「正義の意味」については考えさせられます。かなり長い長編ですがまさに渾身の超大作という言葉がぴったり当てはまる篠田節子のベスト小説。
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この小説を読んでいると怖くなる。これと似ている物語にアメリカの家庭の病根にスポットライトが当てられた「アメリカンビューティー」という映画がある。→チェック

小説の内容
早稲田卒で秀才の妻は会社から海外への長期出張を命じられて喜ぶが、夫が反対する。「家族を最優先に考えろ」と言われて、けっきょく彼女は海外出張を取りやめ出世コースから外れていく。夫も早稲田卒のエリートだったが、「家族といつも一緒にいたい」という理由で、転勤を断る。そのせいで左遷されてしまう。夫婦ともに「すべては家族のために」という考えから仕事を二の次にした。その結果、夫は会社で居場所がなくなり半強制的に退職、そして転職。40歳後半から自動車整備工で働くことになる。しかも早稲田のエリートだった彼が、若いヤンキーあがりの中卒の従業員に指導されながら少ない賃金で働かされていた。さらに娘は情緒不安定で、事件をおこし逮捕されてしまう。両親がどれほど娘のことを心配しても、娘はだらしない親を軽蔑していて2人から離れたくて仕方が無い。働きだして給料が貰えるようになると「待っていました」とばかりに娘は家を出て1人住まいをはじめる。ようやく家族から解放されたという思いが娘にあった・・と思う。(私自身もこの娘と同じような形で家を出た・・・とにかく早くお金を稼いで家から脱出したかった)
 
娘が家を出たあと、妻はもう私の役目は終わった、といって夫に離婚を申し出る。
そのとき夫は過去をふりかえる。
すべては「家族のために」と思って転勤を断り、早稲田の学歴を捨てて屈辱に耐えて働いてきた。しかしその家族がいなくなったのだ。

けっきょく「家族」というのは自分の持ち物ではないし自分の思うようには動いてくれない。
夫は呆然とする。家族を何よりも大切にしていた男は、家族をコントロールできると信じ込んでいた。なぜなら「家族」は他人ではないから。しかしその考えが間違っていたのだ。夫は家族のメンバーの1人1人を、1個の自立した人間と見ず、自分と同化した存在だと思っていたように感じる。「支えあう」と「依存」は似ているようで違うのです。


蛇足
スティーブン博士が書いた「7つの習慣」という本について。
人間は自立をしなくてはいけないという。ここで博士がいう自立とは「家族」からの自立だと考える。「家族」というのはお互いが支えあって生きていく共同体のようなイメージがあるが、それが依存であってはうまくいかない。自分が自立するのはもちろんのこと、他の家族のメンバーに対しても1個の自立した人間として接することが大切だという。

いま考えると「砂漠の船」の
主人公(父親)は娘に対して「共依存」の関係だったのかもしれない。
共依存といったら暴力男から離れられない女性のイメージがありますが、親子の関係でも充分にありえる。 具体的には、「わたしがいなかったらこの人は駄目になってしまう」という考えからその人を1個の独立した人間として認めずに、無意識のうちに自分の庇護する人間を、思うようにコントロールしようと常に考えている人が共依存です。 

父親は娘を愛していた。期待していた。しかし娘はその期待を裏切って逮捕されてしまう。そして親から離れていく。 「子供を愛しすぎて駄目にする親」というベストセラー本はまだ読んだことはありませんが、たぶん共依存のことを指摘しているのだと予想します。 「シャイン」という映画の父子も共依存の関係だった気がする。ではどうすれば良いのかといえば、まず最初に家族同士は依存関係を解消する。そしてお互いが自立する。その次に「相互依存」の関係を築く必要があるというのが博士の考えだったように思う。
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作者がモデルにしたのは福島県の町だそうです。
過疎化がすすむ町に、観光客を呼ぼうと努力する町の人たちの奮闘記。

ただし、「UFOが出現する町」とでっちあげて人を集めようとしますので
かなりの悪ふざけなんですが、なんとか過疎化した町を再生しなくては
商店街も温泉街も廃れ、食ってはいけないという必死さが伝わってきます。
愚かしくも愛すべき町の人たちです。

ところが、一部の人たちは「町おこし」に消極的です。
町が廃れた原因をいつも他人のせいにして愚痴を言う。

ふっと思ったのですが、自分のところが儲かっていない理由を
不景気にせいにしたり、政治家のせいにしたりして
本質的に変わろうとしない人たちはやはりどこにでもいると思います。

しかし「人」も「会社」も現状維持では生きていけません。
必ずどこかで「変化」「進化」しなくては恐竜のように滅びるしかないのです。

この小説には、現状を打破しようと「変化」を試みる人たち、
現状が悪い理由を他人のせいにして、自分自身は変化しようとしない人たち、
2種類の人間が明確に描かれていました。

また本作には痛烈なマスコミ批判も含まれています。
「UFOの町」をテレビ番組で報道するためにマスコミがやってきます。
ときどき実際のテレビ番組でも、こういうのをやっていますよね?
UFO、宇宙人、催眠術、心霊、などなど。
本当に心の底からバカだといつも思います。
なんで、こんな番組を視聴者にみせて詐欺で逮捕
されないのだろうかとさえ考えますね。
ようするにマスコミなどは、嘘と分かっていながら
「信じたふり」をしてそういう番組を作っているだけです。
テレビに出てくるタレント女性が心霊写真を見て悲鳴を上げ叫ぶ。
その言葉が日本語なのに、なぜか字幕をつけて視聴者に読ませる。
・・・・。
開いた口が塞がらないとはこのことですね。テレビは死んでいます。
本作でも、芸能レポーターの女性が
宇宙人に連れされられてしまう様子を真面目に番組にしようとしていました。
いろいろな見方ができる長編小説だと思います
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おとなしい愛犬が毎日のように、隣の家のクソガキに悪戯をされ
ある日、度の越した過激ないたずらに、犬は驚いて自分を守るために
ガキを噛み殺してしまう。

正当防衛だ。

・・・という言い訳が通じるわけがないほどに
犬と人間の身分は違う。それが悲しい。 

もし子供が他人の犬を殺しても

器物破損扱いだ。

犬は法律上では生き物ではなくモノなのだ。
 


人間とは、本当に身勝手な生き物だと思う。
「南極物語」を思い出しました。
タロとジロが奇跡的に生きている姿を確認した隊員たち
は感動してタロを抱きしめる。
しかし、もしタロが喋られるならば、こう言うだろう。

「このやろう、抱きつくんじゃねえ!オレの仲間を返せ!」

動物は喋ることができない。
だからどんなときも自己弁護できないし、
人間に反論することもできない。

話はそれましたが・・・
当然のように家族は、犬を処分しようと考える。

しかし妻だけは納得がいかずに処分を拒否する。

私も同じ気持ちだ、仮にあのクソガキが甦っても
もう一度、ポポ(犬の名前)に、かみ殺してもらったほうが世のためだ
と毒づきながら、断固として妻を支持する・・。
そうしているうちに、妻は、愛犬を連れて家を飛び出す。

これは、処分寸前の犬と中年女の逃避行である。

女は車に乗れないので自転車で逃亡する。
かなり無謀だ・・・・。 

妻を追う人間で一番手ごわかったのは、警察ではなくて夫であった。 

何があっても妻を守らなければいけない夫が
この逃避行では最大の敵であるかのようだ。

これほど、この妻と犬の逃避行を、必死で応援した読者は・・・


日本で私だけだと自負したい。

(自慢じゃないけど・・) 

しかしこの小説のテーマは逃避行ではなくて、「老い」である。
その説明は、ネタばれになるのであえて言いません。

私はこの逃避行の末の結末がとても気に入っている。最高だと言ってもいいです。
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最近の私のマイブームとなっているのが篠田節子。

篠田さんの得意技は、自立している独身女性の将来に対する不安を描くこと。
このテーマで小説を書かせるとまず彼女の右に出る者はいない。 

プロの作家というのは、それぞれ自分が支持を受けている客層をしっかり意識して
小説を書いているのかもしれない。

篠田さんの場合は焦燥感を抱える30歳後半の独身キャリアウーマン。
江國香織の場合は日常生活に退屈していそうな裕福で多趣味な主婦・・かな?

さて・・小説の感想ですが・・

主人公は40歳手前の独身女性で仕事はゴーストライター。

ふっと思ったのですが仮に私が宮本輝のようにプロ級の文章が書けるとしても
ゴーストライターにしかなれないかもしれません(余計な心配やと言われそうですが)

いくら面白い小説が書けてもそれで作家になれるとは限らないのですね。
出版社を含めた文壇界という世界でモノ書きが生き延びていくには
「政治力」というものも必要なのかも。
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