カテゴリ:桐野夏生(10)( 15 )

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トイチって悪の化身じゃないか?
彼が村の権力者になったあと、案の定、この男はそこでハーレムをつくって、好きな女とやりたい放題。外国人女のスオンだろうが、中年女のアリスだろうが、見境なくセックスを要求する。そんなヤツが、今度はロリコンに目覚めて、マヤちゃんを愛していると告白しても、そんなのは到底愛とは言えない。
セックスの守備範囲が広いだけのエロ大魔王だ。

トイチとマヤのセックスはレイプだ

社会的弱者である女性を、お金と権力でねじ伏せて、セックスを強要。それはまるで江戸時代の悪代官が、清貧な娘を手ごめにする時代劇を見ているかのようだった。そもそも、マヤが自分の手に入らないと思ったら、今度はあっさりヤクザに売り渡す主人公に誰が共感できるんだよ?

こんな男のどこが根は善人なんだよ?


テレビ出演のときは、わざと朴訥な好青年を演出するために、方言を使い、名前まで改名するこの男の老獪さは、もはや政治家と一緒だ。どうせ名前を変えるならオザワイチロウに改名しろ。
手強い政敵の山路さんと手を結んで、己の権力を保持する手腕もかえって不快になる。

愚かで純粋ならバカ男ならば、読者は「憎めないやつだ」と笑えって許せる。
しかしここまで政治家のように狡猾で、権力と性欲の固まりの男は愛しようがないのだ。
しかも亡くなった老人のお金まで盗む。トイチよ、おまえは悪魔か。

ラスボスはトイチだ。村に帰還したマヤが痛快にトイチを退治する。
私もようやく溜飲を下げることができた。
ここで終わればハッピーエンドだった。しかしマヤがトイチのことを、「憎めない男」だとか、そういう意味不明な台詞を、桐野さんがヒロインに言わせることについて、私は断固として拒否したい。リアルティがないのだ。

いいか?レイプされた男を、許す女性など、この世には、い、な、い、のだ!

これは桐野さんの裏をかいた悪意だろうか?
アキラだったらこう言うだろう。

この小説、終わってるよ、と。

理不尽な男社会に常にNOを叩きつけてきた桐野作品とは到底思えない。
いずれにせよ悔し涙がとまらない。
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表紙、個性的すぎる。
ヤロウが主役なので、フェミのワタシにはちょっと残念です。
しかもこの表紙のとおりにむさい男でした。

でも舞台設定に関しては最高です。
桐野さんの小説「リアルワールド」を彷彿とさせる。
未来うんぬんよりも、作者の狙いは、無秩序の空間を作り出したかったのだと思う。
それはカオスです。特に地下描写はわくわくする

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イオンが久しぶりに地上に出てきたとき、太陽の光で、ラピュタのムスカのように「目が、目が~」みたいなシーンがあったけどあれはよく考えると怖い。 









むかし、イギリスの映画でディセントというB級ホラーを観たことがあるが、それを思い出した。ああいう地下に長くいたら、モンスターのように本気で目はつぶれてしまうだろう。人間が地底に慣れすぎたらきっと地底人になってしまう。そんなコワおもしろい描写、さすが桐野さんだ。
(映画:ディセント)優しい大人はこの映画のように、地下の世界観が秀逸でした。
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本作品は世界32カ国が参加した「世界の神話」という企画だそうで、日本代表として桐野夏生が選ばれ、彼女は古事記を土台に執筆したという話です。神話というよりもむしろファンタジーに近いかもしれません。ただしもちろん桐野式のダークファンタジーです。


一番評価したい点は景色の描写がじつに素晴らしいことです。


舞台は海蛇島という小さな島なのですが、読み進めていくうちに、いつのまにか頭の中に島のマップが出来上がっていました。特に闇の巫女が住む深い森や、謎の北の大地へとつながる細道、黄泉の世界の神殿の描写は簡潔でありながら、一瞬にして脳裏に景色が目に浮かぶ。これぞ小説、これぞ活字の魅力。想像することの楽しみを存分に味わうことができました。



主人公は女神に仕えるナミマという女性。
ズバリ彼女は死者です。



旧約聖書に「結婚式はつまらないけど葬式は面白い」という言葉があります。



それは多分、普段感じることのない「死」を意識させられることによって
「生」を実感できるからだと思います。
話はそれますが、最近「死」を意識していない若者があまりにも多い。
そのために「生」に対する本能的な執着心が希薄になっている。


「女神記」は一言でいえば死の物語です。
死者が「生」に対して嫉妬したり、憧れたり、未練をもったりする話です。


こう言うと不吉だと思われるかもしれませんが、「死」を身近に感じている人ほど、「生」に強いこだわりを持っているというメッセージがそこにあります。例えば映画「SAW」は、末期がん患者が、怠惰に生きる若者に「死」を意識させることによって「生」に執着させようとしている。あれも同じです。極論を申すならば、「死」と「生」は一対なのです。



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海蛇島から脱出するシーンは見所の1つです。
ちなみ私は脱出という行為じたいが、いつも楽しくてしょうがない。
無意識の願望だからかもしれません。
映画「マディソン郡の橋」のように、人は今の生活から抜け出して新しい世界で生きてみたいという願望がある。たとえば刑務所からの脱出であろうが、無人島からの脱出であろうが、観客はそれを日常生活からの脱出と結びつけて、カタルシスを得ようとする。この作品では島の掟によって、殺されてしまう定めの女性を、男が救い出して、2人で島から脱出しようとします。桐野作品にしてはめずらしく男が頼もしい存在として描かれていると感じましたが、最後はその反動のせいか、いつも以上に男尊主義者たちを憤死させるのに充分すぎるほどの痛快なラストで締めくくられています。イザナミバンザイ。彼女は女神と死神を兼務している大変興味深い女性でした。

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コロンビア大学で講演する作者。

こんなことを言うと怒られるかもしれませんが・・・
イザナミは桐野夏生氏本人がモデルではないでしょうか。
ワタシはそう思えてなりません。




気がつけばどのシーンも暗闇ばかりが印象に残ります。闇の巫女が死体と一緒に置き去りにされるシーンも暗闇の中ですし、黄泉の国の神殿も上を見上げれば天井が見えないほどの暗闇に支配されています。残酷だけど美しい。こんな漆黒の世界観を、桐野夏生以外に誰が描けるというのでしょうか。100点です。
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十五少年漂流記のように、みんなで助け合って危機を乗り越えていくという涙ぐましい美談は1つもありません。自分だけの利益を追求して生きていこうとする登場人物たちが描かれています。エゴイズムの極致を追求したあらゆる描写が収斂されています。私は著者の徹底した人間描写に嫌悪感よりむしろ潔さを感じることができました。その象徴的な人間が清子とワタナベです。

ワタナベの変人ぶりは目に余るものがありますが、彼の他人に対する嘲笑や激しい復讐心の源泉は、他者との齟齬の自覚にあります。つまり過剰な自意識の裏返しなのです。彼は無人島で孤立したことで自意識が解放され、のびのびと生活をはじめます。清子は完全無敵のエゴイスト。彼女の合理的なモノの考え方は、非情な狡猾さと表裏一体であり、生き抜くためにはどんな卑劣な手段を用いることも逡巡しない強さが秘められている。

時には島でたった1人の女性であるがゆえに、その特権を活かして女王のようふるまう清子、時には愛する夫のユタカを裏切って島を脱出しようとする清子、時にはフィリピン人マリアの前で土下座せんばかりに卑屈になり、かよわき妊婦を演じる清子。非力だがザバイバル能力はランボーすら凌駕する。

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清子とワタナベはまさにトウキョウ島の申し子であり、2人は水を得た魚のごとく一瀉千里の勢いで活き活きと島をかけめぐる。その描写は素晴らしいものがある。
このように著者は「性悪説」の立場に立って人間の本質を描いている。


人が善人でいられるのは神を信じているからです。

神がいないことを認めたら悪になる。

こう言うと「おれは神を信じていないぞ」

と反論したがる人もいると思いますが、それは意識していないだけだと思う。

墓を蹴ったら誰もが縁起が悪いと思うはずです。

また、初詣で祈ったり、交通祈願をすることもあるはずです。

つまりすべての人間は、見えない力や、見えない罰を信じ、そして恐れている。

そのことを宗教観といいます。

この無意識の宗教観が人間の欲望をおさえる抑止力になっている。

その抑止力を破壊するものが「絶望」という感情であり、

無人島はその絶望を人間に与える。

そうなると人間の持つ偽善がすべて取り払われ、本能がむき出しにされる。




著者は「食欲」と「性欲」の描写を執拗に描くことによってそれを炙り出すこと成功した。人間にとって「社会」とは摩擦相克の場だということも分かるかと思います。これは良質な純文学。現代文学の1つの到達点。谷崎潤一郎賞受賞。
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(注意)東京島の激しいネタバレが含まれています

ある問題について私の怒りをぶつけてみる。
東京島のオトコ連中は、この世の男尊女卑の思想を代表する愚か者たちなのである。
現実問題としても、この世は男女平等を謳いながら男尊女卑がまかり通っている。
罵るときは「バカ」だけでいいのに、わざわざ「バカ女」と言ったり、女性の弁護士にわざわざ「女弁護士」とつける。その根底には女性差別が含まれている。

e0065456_23122649.jpgイランで51歳の男にレイプされた16歳の少女が、レイプされた罪で死刑になった事件があった。男に抵抗できなかったというだけでマグダラのマリアにされてしまったのだ。冗談じゃない。

(マグダラのマリア)

*ばかな男尊主義の男たちはアイルランド映画「マグダレンの祈り」を観るがいい





またインドでは夫が先に死んだら、妻が一緒に殉死する慣習があった。現在インドの寡婦は殺されることはなくなったが、生き地獄を味わっている。先進諸国は単に偽善で男尊女卑の思想を覆い隠しているに過ぎない。世間を騒がせているひき逃げ事件や凶悪犯罪の大半は男が引き起こしている。それなのに女性がちょっと犯罪をおかすと異常なほど騒ぎ立てる。罪を抱えた女性をヒステリックに弾圧するばかな連中たちが多い。


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「東京島」が痛快なのは
私がこの世で一番大嫌いな男尊主義者たちが
怒りで失神しそうな内容の物語だからだ。


46歳の太った中年主婦清子は、夫が無人島で死んでも悲しみもせず、むしろ無人島でたった1人の女性だという理由で、もてまくり、その現実に狂喜する。あらゆる男たちとセックスして、あげくのはてに無人島で3回も再婚する。その後、再婚した夫を見捨て、無人島を脱出しようとするが失敗。しかし「妊娠」を利用して再び無人島内で権力を握る。


e0065456_23255150.jpg清子はエゴイズムの化身であり欲望の権化だ。
むき出しにされた人間の本質だ。
ランボーだって彼女をみたら
「やるな、清子」
と言わずにはいられないタフガールである。


*女優レニー・ゼルウィガーが清子役にぴったりだと思う。
是非映画化を!
(第二候補は杉田かおる)





清子は女性軽視のバカな男たちを踏み台にして、ついに自分だけ無人島を脱出する。
こんなに痛快な小説はあるだろうか?清子バンザイ!

彼女は虐げられているすべての女性の代表だ。
溜飲が下がる思いだ。
しかも脱出後、彼女は売れっ子占い師になっている。
なんてシュールなラストなんだろう!

いぜん、桐野の小説が「男をばかにしている」という理由で「反社会的」だと批判されて直木賞を逃したことがある。本当にばかな中年男たちは、彼女の偉大さがまったく分かっていない。

芥川賞選考委員で東京知事の石原慎太郎に
是非「東京島」を読んでもらいたい。彼は憤死するだろうか?
これぞ桐野ワールド。
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桐野作品の代表作である「OUT」と「メタボラ」は似ている。
「OUT」はパートのおばさんたち、メタボラは請負社員とホスト。
どちらも社会の底辺で働く人間たちの話です。
2作品は簡単にいうと、ワーキングプアの物語。


ワーキングプアとはようするに、石川啄木がいうように「働けど働けど、わが暮らし楽にならず」という状況の人たちのこと。


雇用の流動化により使い捨てにされる派遣社員やパートたちが増えている。ネットカフェ難民という層も出来つつあるらしい。彼らは日雇い派遣で生活を維持している。失業者ではないが実質的にはニート予備軍だといえる。もしギンジがそれを前もって知っていたならば、タコ部屋など選ばずに間違いなく、彼はネットカフェ難民の道を選んでいたはずです。なぜならギンジは原口と一緒に暮らさなくてすむから(笑)


たぶん著者が「メタボラ」を書き終えたすぐ後に「ネットカフェ難民」の問題が新聞で話題になったのだと思う。そういう意味では桐野夏生の先見性は素晴らしいと感じます。ギンジと昭光は形は違えども、まさに現代社会における「難民」ではないでしょうか。昭光という主人公は好青年だが救いがたいほど怠け者。向上心も危機意識も欠如している。それでも今の日本では生きられる。だから今後もニートは増え続けるでしょう。

これからはもっと生きづらい世の中になっていくと思う。といっても、その原因を政治のせいにするつもりはない。負け組みとか勝ち組とかそういう問題ではない。そういうことではなくて、戦後の満たされていない時代ならば、私たちの目的は、水や食料を手に入れるために必死で働くだけで満足できたし充実感を得ることができたと思います。しかし今はある程度すべてが満たされている。満たされすぎた世の中では、かえって人間の欲望は昔の「衣食住」のようにシンプルなものではなく複雑化してきている。だから自分探しだとか言い出す人間も出てくるし、透明な自分の存在に苦しんで自殺する者も出てくる。ドラッグに溺れる者も出てくる。


著者がいうには

今の若者たちは欲望を見失っている

という。わたしはなんとなく、わかる気がする。
人によってはその欲望がボランティアに向かう場合もある。その他にもこの作品には、ドメスティックバイオレンス、ネットを利用した集団自殺、沖縄の差別問題、同性愛などが描かれている。読者は自分の興味のあるテーマだけにポイントを絞って読めばそれで良いとおもいます。
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不幸な人は大勢いる。
しかし小さな不幸も大きな不幸も比較してはいけないと思う
だって不幸は相対的だから


主人公はギンジと昭光という共に20代の放浪者。
舞台になる沖縄は南国で美しい場所だというイメージがありますが、著者は社会の暗部を描くことが非常に得意な人ですから、沖縄のドロドロした部分を炙り出していく。だけど沖縄の方言は味があって良い!
と言いたいところですが、「おいら、だいず驚いたさー。ほら夜の山ってはごいから何かに出くわすんじゃないかって思ったさー」なんて方言が出てくると、もはや日本語とは思えない。意味を調べて読み進むよりも、方言丸出しの昭光の台詞はメロディの1つだと思って適当に読み流したほうがいいくらいだ。

ギンジは記憶喪失なので仕方なくギンジと名乗っているが、昭光の場合は新しい自分になりたくてジェイクと名乗っている(彼は宿敵の銀次に畏怖の念を抱いている。憎んでいるけど彼のような人間になりたがっている)
この小説が「自分探しの旅」ではなく、「自分殺しの旅」だといわれる理由は、2人とも過去の自分を捨て去ろうとしているから。ただし旅というのは帰る場所があるから旅という。帰る場所がないものは旅とはいわない、それは放浪だ。自分の人生に対して、一度リセットボタンを押したギンジと昭光は、帰る場所が無い放浪者であり、実質はニートである。「ニート」はこの作品の1つのテーマになっている。


身元保証人がいない2人は当然アパートも借りられない。従って住み込みで働ける場所を探す。そしてそういう場所は大抵社会の最下層になっている。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」じゃないけど、最下層に堕ちたら、上へ這い上がろうとしても上がれない。負け組みという言葉に象徴されるようにそれが今の世の中の仕組みなんだと思う。昭光はホストになる。もちろん周りの人間は山師ばかり。ギンジは請負労働者となってタコ部屋に押し込まれる。共同生活者は元ひきこもりやバックパーカーなどで、さらに低賃金で働く外国人労働者も多く、そのために全体の賃金が抑えられている。


2人ともニートからワーキングプアへと少しはマシになったが負け組からは抜け出せない。


ギンジが自殺を決意した決定的な理由は書かれていない。
読者によっては、ギンちゃん甘いよ、と思うかもしれません。

だけど飢え死にするアフリカ人や、拷問されて死ぬ北朝鮮人に比べて、生活が苦しいという理由だけで自殺する日本人のことを、甘ちゃんだと笑うことができますか?

ようするに、不幸は人よって相対的なものだと思うのです。


ギンジを見ていると、本来「自分」というものなどは存在しないのだと思う。

彼は自殺に失敗し、記憶を失い、そして新しい人間関係を築いていくことでギンジという人格を作り上げていく。

しかしその後、記憶が甦り過去の人間関係をすべて思い出す。
すると「ギンジ」の人格はどんどん希薄になっていく。

このように「自分」というものは、他人との関係性のみに存在するのだと考えます。

続く。
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小さいころは、西村京太郎と赤川次郎をたくさん読んでいましたが、そのうちだんだんと犯人探しに飽きてきました。つまり読んでいる途中から

「誰が犯人だっていいじゃん」

という投げやりな気持ちになってしまう。この小説は典型的な犯人探しの推理小説で、ふだんの私なら読まないのですが、桐野夏生が書いた本なので読んでみた。

ストーリーは親友が1億円を持って逃げた。親友とグルになって大金を盗んだと疑われた主人公は、インテリヤクザの男とコンビを組んで1億円を追うという話。


まるで火曜サスペンス劇場です。


この作品で桐野氏は江戸川乱歩賞を受賞し、日の当たる場所に登場したのでした。でも桐野さんらしくない小説ですね。毒がないし、あんまり濃くないし。私はなぜか犯人が最後まで分かりませんでした(^^ 久しぶりにこの手の小説を読んだからかもしれませんが、うまいなぁと思いました。 ちゃん、ちゃん♪
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表紙のきのこは毒きのこでしょうか?明るい色のきのこほど毒があるという話を聞いたことがあります。桐野夏生といえば「OUT」や「グロテスク」の作者でありますが、とにかくこの人の作品は非常に毒性が強いのが特徴です。彼女の描く人間は本能的だからとても残酷です。本作は短編小説。短編どうしを結ぶテーマは「悪意」。表題の「アンボスムンドス」は短編のなかの1つです。小学生の女教師がキューバへ不倫旅行へ行っている最中に受け持ちの子供が死んでしまい、不倫旅行していたことがばれてしまう話だったかと思います。教師は非難の嵐を浴びるわけですが、一方でなぜその子が死んでしまったのか?という謎を探っていく。子供の残酷さが描かれています。 一番強烈だったのは「怪物たちの夜会」という短編。9年間不倫を続けている女性の話で衝撃的で痛快なラストが待っています。 キャッチコピーは「悪意の嵐」という言葉で飾られていましたが、これは悪意の大バーゲンでした。わたしのようにディープな読者になってくるとこの程度の安売りされた毒じゃ物足りないみたい(笑) ちなみにアンボスムンドスはキューバにあるホテルの名前だそうで、裏と表の世界という意味があるそうです。ヘミングウェイはこのホテルで「誰がために鐘はなる」という長編小説を書いていたようですね。
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エドガー賞を逃したとはいえ、海外で高く評価された小説。
弁当工場で夜勤で働いている中年女性の主婦たちが殺人事件にかかわっていく話なんですが、そのせいで私も昔、夜勤をしていたときのことを思い出しました。私の夜勤は2ヶ月間だけでしたが、日が沈んで真っ暗になってから目を覚まして仕事に行くというのは、どう考えても気分がいいものじゃありません。やはり人間は太陽の光をあびないとおかしくなってしまう・・ということをそのとき、つくづく感じたものです。

主役は43歳の主婦雅子。彼女には弁当工場でいっしょに働く3人の友達がいましたが、夜勤という仕事が彼女たちの心を少しずつおかしくさせていきます。どの場面も、夜、夜、夜・・。彼女たちは昼よりも25%賃金が高いという理由で午前0時から働く仕事を選びました。ごく普通の主婦たちなのですが貧しくてお金に余裕が無いという状況。 

そういう彼女たちが紆余曲折を経て、死体をバラバラにする仕事をヤクザ連中から請け負うことになる。

その仕事を引き受ける主婦たちの心理状態というのが、そんじょそこらの嘘臭い小説とは違ってリアルティがあると思う。1つの死体をバラバラにするとどれくらいの報酬金額が貰えるのかは忘れてしまいましたが、一生遊んで暮らせるようなお金ではなかったような気がする。しかし弁当工場という寒くて人間の尊厳すら認めてもらえないような、みじめな夜勤仕事(しかもパート)を数十年間も続けるよりも、そのお金さえ手にはいれば「夜の世界」からおさらばできるのである。

彼女たちは脱出のためのお金が欲しかったのだとおもう。

それは夜の世界から光が当たる世界への脱出。

太陽の光をあびて仕事したり生活したりすることが当然のような私たちには想像ができない世界観がそこにはありました。それから、死体を切るという行為について。桐野夏生のその描写は女流作家だとは思えない迫力がある。 

死体を電気のこぎりで切断すると顔に血しぶきがかかります。
血が目に入るからゴーグルをして死体を切断する主婦。
「南無阿弥陀仏」と唱えながら死体をバラバラにしていく主婦。
そんなことをしたら、ばちが当たってしまうと嫌がる主婦。

しかし、のどから手が出るほど欲しいお金のために否応無くその「仕事」に没頭していく。

なんでこの主婦たちは、たかがお金のために・・と読者に考えさせない桐野氏の圧倒的な説得力、そしてそこに至るまでの主婦たちの執拗な心理描写が次から次へと展開され、必然的に物語に引き込まれていきます。
日本を代表する現代小説だと言っても過言じゃないでしょう。
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