カテゴリ:絲山 秋子(6)( 6 )

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当然のことながら、「超然」とはなんだ? と読者は思うでしょう。

キャッチコピーでは、超然とは、パッション(受苦)である、と説明されていますが
これだとますます意味不明じゃないでしょうか?

そこで私なりに、「超然」の意味を、みなさんに説明させていただきます。

超然とは、平然のパワーアップバーションだと考えてください。

では平然とはどういう意味か?
何事もなかったように落ち着き払っている、という意味です。

「妻の超然」とは、夫の不倫ぐらいで、妻たるものがオタオタするな、とも解釈できますね。

「超然」の考え方は、ベストセラーにもなった「鈍感力」の考え方にもつながります。

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小泉純一郎元首相が、安倍元首相について「鈍感力が大事だ。支持率が上がったり下がったりするのをいちいち気にするな」と発言した、と報じられました。

つまり小泉氏は安倍さんに、超然としなさい、とアドバイスを送ったのです。

しかしである。超然というものは、やせ我慢なのだ。
やはり人間は、つらいものはつらいのです。
超然とは、どんなに辛くても平然と耐えなさい、という意味にもとれる。

それがキャッチコピーにある「受苦」とつながってくる。

「作家の超然」 これは実話です。作家=絲山さん。

2009年7月に作者は自身のホームページで腫瘍ができたことを報告しています。

以下、作者の病状報告

・神経の腫瘍。
・今後、良性か悪性かを判断するために検査をしていく。
・位置的に切除すると後遺症のリスクがあるため、良性であれば温存、経過観察が望ましい。
・良性でも障害が出てきた場合は切除。
・悪性の場合は後遺症のリスクを含め切除。
・このあとの検査は、CT、細胞診、PET

この本が2010年に発行されたところをみるとすぐネタにしたことがわかります。

以下、本部から抜粋

病室は電車や飛行機のような乗り物である。ずっとそこにいると決めていたら耐えがたいだろうが、移動という目的があるから落ち着いていられるのだ。元気になるという到着地を考えてわくわくしている者もいれば、いつまで続くか分からない移動にうんざりしている者もいる。そしてもっと行きたくない場所だってあるのだ。患者という細胞を取り込んでは吐き出す病室。細胞であるお前たちは病室という乗り物に乗って移動している。そもそも生きること自体が移動ではないのか。お前は知っている。悩んだときは道に迷えばいいことを。

よほどの読書通じゃないと何を言っているのか理解できないと思います。
ようするに作者は、超然としようと考えていたのです。
それがこれらの文章からうかがえます。そうやって読み進めてください。
しかし、超然とはやせ我慢ですから、
やはり作者の病気に対する不安や怯えというものが、ひしひしと、文章から伝わってきます。
その不安が、厭世観や諦念とつながって、なぜか非常にレベルの高い文章へと昇華していました。

やっぱり文学の原動力は「不幸」「悩み」「絶望」なんだな、と思わざるえません。

狂気というものは、近い将来化学式のように書いて説明できるのではないか、それほど法則性と親しいのだ。楽器を弾くことも、絵を描くことも、セックスをすることも、夢を見ることも、自分を見失うという意味では小さな狂気だ。孤独死を発見する人は不快でつらいだろう。だが、本人にとってそれは本当に悔いの残る死に方なのか。孤独死とはある意味自然死だ。

延々とこんな感じで続きます。

作家の超然に比べて、妻の超然は好きじゃない。なぜなら綺麗にまとめすぎているから。
あんな馬鹿夫、くたばればいいのに、あんな夫でも愛しているよ、で終わらせているところが
超気に食わない。妻の超然は、映画化されるかもしれない。それほど娯楽臭がする。
しかし、作家の超然は、見事な純小説に仕上がっている。
好みの問題かもしれないが、私は作家の超然をおすすめしたい。
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主人公は元左翼で、無職で、独身で、ゲイで、40歳という設定はとんちんかんだけれども
ようするにドロップアウトした人物を描きたかったのでしょう。


この男の目的は妹の世話になるために妹夫婦のところへ行くこと。


それまでの珍道中を小説にしました、って感じです。
基本的にいとやまさんの作品はドロップアウトした人間が右往左往するものが多い。
早稲田のエリートだった作者が会社をやめてドロップアウトした経験を、形をかえ、品をかえて、小説にその想いをつぎ込んでいるのではないでしょうか。こういうのをオートフィクションっていいます。今回の作品でも主人公の病み度が高いのですが、いつもの軽妙な文章で重さを感じさせない。(以下本文抜粋)


おれさあ、ここで悔い改めちゃったりすると人生ゼロになっちゃうみたいで、それはちょっと都合が悪いんだよな
神さまよ、人の罪なんか聞くより、むしろ応援しろよ。
あんたの作った人類のこととかをよ。



良くも悪くも登場人物たちの喜怒哀楽が希薄です。
怒りも喜びもない、喧騒はいやだけど寂しいのもいや。
彼女の小説は、ちょっぴりうつ気味の現代人の共感を呼ぶのかもしれない。
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かなり笑える。1人暮らし作家の炊事日記となっている。

一部抜粋

─うつ状態から脱したが、後遺症で食欲がいまいち。一日一食が続いている。
─食えない→作らない→このエッセイが書けない→食っていけないというループ
─これは食事ではなくて仕事だ、と心を鬼にして作った肉じゃが


はっきりいって、なにゆえに作者がこんなエッセイを書くはめになったのか?


「料理」を描く作家としては一番適していない気がする。


しかし自虐ネタがおおくてひっしぶりに爆笑しました。
うつ病すらもネタにしています。

─うつっぽいときは必ず電化製品がこわれます
─壊れた車のなかで餓死したいと思ったことがあります
─しかしこれ、本当に食い物なのか。
─どうみても毒がはいってそうです。
─食べたら死ぬかもしれない
─そうだ、遺言を書いておこう。そんな見た目の食べ物です


日本で一番切ない料理エッセイだとおもいます。

わたしは、むかし一番嫌いだったのは
食事の時間でした。



なぜかというと
たぶん食べ物を吐いたことが原因だと思います。
そのせいで、食べ物を口にいれると吐き気に襲われることが
しばしばあったせいでしょう。
そして私は非常に食が細くて、食べることが苦痛で仕方ありませんでした。
食事の時間が近づくと、いや~なき持ちになりました。
(食べたくても食べられない人々にとってはすごく失礼な話ですね)

それでみるみる痩せていって、これじゃ死ぬかもしれないと思い
マクドナルドを毎日食べ続けたことがあります。
マクドナルド計画については以下のレビューで書いてますのでご参考に。

みんなのシネマれびゅー


ちなみに私は子供の頃から、親と食事をした記憶がありません。
記憶がないというよりも実際に母親とも父親とも食事を一緒に食べたことは
ほとんどないと思います。そういうわけで・・


食事というのは1人で食べるものなんだ


という意識がいつのまにかできあがっており、
他人と食事をするとき、おしゃべりを楽しみながら食事をする
という当たり前のことに体が拒否反応をおこしてしまいます。

私の場合、喋りながら食事すると食欲が激減します。
何回も一緒に食事したことがある人の場合はまだマシなのですが
初対面の人などと食事するとアウトです。


さいきん、また体重が落ちてきた。困ってしまいます。
世の中はいかに体重を減らすかという本ばかり出回っていますが
どうして体重を増やす本はないのでしょうか。
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テーマは「働く」ということかもしれませんが、私にとっては「友情」の物語でした。

会社の同期の太っちゃんが死にました・・。彼との約束を果たすべく、主人公の女性は
彼の部屋にしのびこむ・・・・。

なんのために、忍び込むかといえば、彼の「秘密」を葬り去るためです。
その「秘密」は、パソコンのハードディスの中にある。
それを破壊するのが主人公の使命である。

犯罪者じゃん、というより、ミッションインポッシブルみたい(^^

太ちゃんが、オレの死後、秘密を消去してくれ、と依頼したわけですが
実際に家族でも、恋人でもないのに、そこまでやってくれる人はいないでしょう。
さらに家族にも言えない秘密を他人に託すということも、普通はできないと思います。
つまり、2人は強い信頼関係で結ばれていたのでしょう。

不幸自慢大会と言われている芥川賞受賞作にしてみれば、少し闇が浅い気がする。
しかし、けっこう共感できる話だったので、興味深く読むことができました。


今、ブログ全盛期です。多くの人がブログを作成している。
ブログの存在を家族に内緒にしている人も多いだろう。
私も日記のように書いているので家族には見せたくない。

もし自分が突然死んだとき・・・・
主人公のように、私の部屋に忍び込んで・・・

私のブログを破壊してくれる人はいないだろうか
と、そんなことが頭をよぎりました(^^
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いきなり神さまが登場して、おれは「ファンタジーだ」と言ったときは
読むのをやめようかと思いました。
どうせ図書館で借りてきた本だし(苦笑)

ファンタジーという神さまは、なにかのメタファー(隠喩)なのでしょうね。
人のこころの迷いが、形となって現れたものかもしれません。

海の仙人、というのは、ファンタジーのことじゃなくて主人公のことでした。

主人公は宝くじで3億円を当てて、東京の会社を辞め、田舎の海辺の家に定住する。
悠々自適の生活・・・というのではなくて、人生をリタイヤしてしまった若者というふうに見える。
まさに仙人のように、俗世を捨てて、ひっそりと暮らしている。
病気で会社を退職した作家本人の、当時の心境を描いたのでしょうか。

コミニケーションは、生きていくうえで非常に大切なもので、それを放棄することは
社会からドロップアウトしてしまう人だと思います。
本来、人間は、仙人のように、コミニケーションを拒否して生きていくことはできない。

ちなみに、「仙人」の定義は、不老不死だそうです・・・・
やっぱり人間じゃないじゃん(汗)

しかし、3億円も手に入ったら、私も主人公と同じ行動をとるかもしれない・・・。

ただし、私だったらハワイの海で仙人になりますがね(笑)

主人公が定住している北陸の海って、天気がいつも悪いから
黒ずんで見えるのですよね・・。
実際に北陸に住んでいる私は、青い海に憧れます。
海というのは、太陽の光があって、はじめて癒されるものだと私は思います。
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新鋭の芥川賞作家です。

・・・・・・
地味だけど、気にかかってしょうがない作家さんですね








ニート=働いていない若者=シングルパラサイト 
という偏見の方程式が私の中で成り立っています。

シングルパラサイトとは親に寄生するガキのこと。
ようするにひきこもりと言って良いかもしれません。
無職でも食うには困らない連中です。
しかしこの小説のニートは両親から離れて1人暮らしをしている。
無職だから当然お金がなくなり家賃・電気料がなくなりガスまで止められる。
食事も3日に1度しかとれなくなる。
それでも働こうとしない。ここまでくればニートというよりもホームレスでしょう(苦笑) 
働きたくても働く気力が無い・・そういう無気力な人を救おうとしている主人公の物語でした。
どうも作者の経歴を調べていると、自分自身がドロップアウトしてニートの立場になって描いているような気がします。
この作家の小説は何冊か読んでみたけど「ドロップアウトした人間」を描くことが多い。
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