カテゴリ:小池真理子(4)( 4 )

e0065456_18555491.jpg


映画エッセイです。
ワタシが読んだときは「忘我のためいき」というタイトルでしたが、ちょっとインターネットで調べてみたら今は「映画は恋の教科書」というタイトルに変わっていました。こっちのほうが女性には受けそうですね。

小池真理子は大の映画好きです。基本的に作家で映画に興味の無い人はいないのではないだろうか?と思うくらいに作家はみんな映画好きだと思います。そして作家が書く映画エッセイはハズレがない。本作もそうでした。その理由は、映画関係者の批評よりも、プロの作家のほうが、よっぽど「表現力」が巧いからだと思います。少なくとも水野晴郎よりもマシです♪

このエッセイでは、映画の中身というよりも、女優や男優を中心に小池真理子が語っています。熱く映画論を語ってはいませんが、クールです。フランスのエマニュエル・ベアールやジュリエット・ルイスなど意外とメジャーな俳優の批評が多いので、マニアックな映画ファンじゃなくても楽しめる本だと思います。
ちなみに、内館牧子氏の映画エッセイも面白いです。三島由紀夫の映画エッセイも読んだことがありますが痛烈でした。
[PR]
e0065456_23163955.jpg


直木賞受賞作。
1人の女性がひきおこした発砲事件はなぜ起きたのか?

という謎から物語は過去をさかのぼって進んでいきますから、なんとなく山本文緒の「恋愛中毒」と似ている。

女(主人公)が過去を語り出すとき、女の一人称になる。
あいもかわらず、最初に肉欲に溺れる男女をみせておいて
そのあとに、愛に本当に必要なのは精神のつながりなのよ
ということを、とくとくと説いているように私はみえる(笑) 

まあそんなに単純ではないとは思うけど
小池氏の恋愛観は、山田詠美のそれとは対極にありそう。

謎の過去を持った女・・というミステリーをずっとぴっぱり続けるので
けっこう最後までミステリアスです。

そして最後に発砲事件の真相がわかります。
このように小説を最後まで読ませる力はさすがだなと思います。
[PR]
e0065456_2311121.jpg


サイコミステリー短編集です。
表題の「贅肉」は、美貌の姉が失恋をきっかけにどんどん太り始める物語です。

妹は姉に同情はしませんでした。むしろ急激に醜くなっていく姉の容姿をみて、だんだん嫌悪感をつのらせていく。美しかった姉は、過食症になり、ついに1人では生活ができないほど太ってしまった。妹は姉の面倒を見なくてはいけなくなる。最初は姉の美しさを羨望していた妹も、姉が太り始めてからは嫌悪感にかわり、姉の世話をするようになってからは殺意にかわっていく。 

過食症といえば、映画「ギルバートグレイプ」に登場する主人公の母親も、夫が自殺したあと、過食症で250キロまで太りほとんど動けなくなりました。私だったらストレスがたまると、途端に食べ物がのどを通らなくなり激やせするんですけどねぇ。 私とは縁がなさそうなのであんまり怖くなかったです。でも「太る」ということについて、恐怖に似た感情を持っている人が読むとかなり怖い作品らしいです。
[PR]
e0065456_19224623.jpg



昔、この小説を女性にプレゼントしたことがある。
その時は気がつかなかったのだが、この小説のキャッチコピーは

女は、男が不能になっても愛せるか?

というものであった・・

もしかしたら誤解されたかもしれない(汗)

この作家は恋愛について、精神のつながりを重視するものを描くことが多い気がする。
その対比として肉欲に溺れる人物をいつも登場させる。 

人は誰でも、自分だけは動物的な性欲で相手を愛しているのではなくて、
精神のつながりを求めていると考えがちです。 

しかしいくら自分だけは精神で人を愛することができると考えていても、
みなさんが好きになる相手はいつも異性ですよね?

もし愛というものがそのように精神のつながりによるものならば、
生まれてから一度くらいは同性を愛していても不思議じゃない。

人の恋愛は高度な精神性とは異なる動物的な本能であり、だから異性を好きになる。
そう思わない人は同性愛者か芸術家でしょう。

ちなみに、私は同性愛者は一番純粋だと思います。

しかし、そういう人はこれからますます増えてくると思う。

そして自殺者も増えてくる。

人間の精神が向上するということはそういうことだと思う。
つまり、人間は動物からだんだん遠ざかっていくということである。
[PR]