「夏の災厄」 篠田節子
ウィルスがテーマのこの小説で知っておくべき言葉は3つある。
バイオハザード、ワクチン、宿主 である。
まず最初に「バイオハザード」とは生物災害という意味。
極端な言い方をすればバイオハザートとは、ウィルスを退治するワクチンを開発している最中に、もっと悪いウィルスを誕生させてしまったということだと思う。この手の物語には、医者や製薬会社が悪者になるケースが多いが本作はあくまでも謎解きがメインです。
わたしはワクチンというのはウィルスを防いでくれるクスリのように考えていたが実はすこし違う。ワクチンは毒力を弱めた生きたウイルスや細菌から作られる製剤。つまりウィルスの感染を防ぐために、体の中にウィルスを入れて免疫をつけるのがワクチンである。
この小説は国策である予防接種(ワクチンをうつこと)に大反対する人々を描くところからはじまる。現実にワクチン反対派はけっこういるそうだ。それに対し作者はワクチン反対運動に懐疑的な視点で描いている。ワクチンが必要な理由はもちろんウィルスを防ぐためである。私たちはまさか自分が鳥インフルエンザや、SARSや、エボラ熱にはかかるとは思わないだろう。日本ではありえない。
だから予防接種に対して「なぜ体のなかに毒を入れるのだ」と抗議する連中がいても不思議ではないと考える。ワクチンのありがたみを実感できないのだ。
実際に予防接種は、体のなかにウィルスを入れるのだから100%無事である保証はない。
これが後進国になってくると事情はガラリと変わり、ワクチンは命を保障する重要な「恵み」となってくる。そこで作者はバイオハザードによって新型のウィルスを誕生させる。そのウィルスにかかると死ぬか再起不能になるしかないという設定にする。そうするとあれほどワクチンを毛嫌いしていた人々の態度が一変する。その様子がこの作者独特の皮肉な描写で描かれている。
ウィルスパニック小説といえばカミュの「ペスト」、または体から血を吹きだして死んでしまうエボラウィルスを描いた「アウトブレイク」がある。この手のパニック作品は恐怖よりむしろ人間の本質を描くのに適している。「夏の災厄」も人間描写が素晴らしい。それは読めば分かる。ぜひ読んで欲しい。読め(^^
本作は、蚊に刺されるとウィルスに感染し死んでしまうという恐ろしい内容になっているが、ウィルス蔓延は埼玉の一部分に限られており、壮大な話のように見えて実はそれほど大きくはない。しかしこの小説に登場する左翼かぶれの医者鵜川が、「組織の陰謀説」を唱えるから勝手に話は大きくなっていく(笑) その描写は深刻というよりむしろユーモアに溢れているから怖さの中にも笑いがある。ウィルスはいちおう日本脳炎という言葉で説明されているが、実際は正体不明の謎のウィルスである。「絶対に発生するはずがないウィルスがなぜ発生したのか?」という謎解きの要素が強い。その謎というのは「ダビンチコード」などよりは、よほど面白いと私は思う。主人公がウィルスの謎を突き止めるために、日本からインドネシアへ向かうシーンもあり、冒険要素もしっかり組み込まれている。
冬を越えることができないウィルスが何ゆえに冬のあいだ滅亡せずに生き残り、そして夏になった時点で人々を襲い始めたのか?また誰が宿主なのか?ラストで意外な宿主が発覚するまでノンストップで読んでしまった読者も多いかもしれない。宿主は非常に複雑だ。しかし宿主が判明するとすべての謎が一気に解けてしまうところがまるでパズルの完成時のように爽快だ。
「このミステリーがすごい!」の1位に私は「夏の災厄」を推薦したい。
これは良質なミステリー小説だ!