「夫婦の一日」 遠藤周作

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夫婦とはなんぞや?

というテーマの短編小説。
そのなかの「日本の聖母」という章は今でも記憶に残っています。
これは歴史ものになっていて
クリスチャンの細川ガラシャと夫の殿様の夫婦仲の話になっています。


遠藤さんの描くガラシャは離婚したがっているガラシャでした。


しかし夫が嫌いといっても相手は天下の殿様です。
妻が「別れてくれ」といって「おう、了解したぞ」と殿様が承諾するわけもない。
そこでガラシャは絶望して、夫の前から逃げ出そうと考える。
遠藤氏のこの小説を読む限り、ガラシャがキリスト教に身をおこうと考えた動機は
夫から逃げ出すこと、すなわち「社会」そのものからリタイヤする目的だったと思う。
いわゆる出家という形で俗世と縁を切りたがった。

ここでガラシャが救いを求めるキリストの修道士さんは、いろいろと言います。

「ガラシャさん、アンタは夫をもっと大切にせんとダメヨ~」

みたいなことを言うのですが、これだけ聞くとフェミニストの私は
「冗談じゃない」とキレそうになりますが・・・・
しかしもっともこの修道士が言いたいことは
苦しみから逃げるためにキリスト教に救いを求めるな、キリスト教は苦しみを避けるものではなく、苦しみを背負うものだ・・・ということだったと思います。
ここが仏教などとは違うところではないでしょうか。 
自殺を禁止しているキリスト教の教えの本質は
「苦しみ」を避けるために宗教は存在するのではない
というメッセージがそこにある気がします。
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