人気ブログランキング | 話題のタグを見る

abさんご 黒田夏子

abさんご 黒田夏子_e0065456_21532514.jpg


芥川賞受賞作品である。この小説には次のような制約があるらしい。

 ・横書き
 ・固有名詞を使わない
 ・ひらがな多用
 ・カタカナを使わない
 ・記号を使わない


以下、本文抜粋。

aというがっこうとb というがっこうのどちらにいくの
かと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどが
あったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくと
ころだったから,a にもb にもついにむえんだった.その,
まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの
中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてん
じょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児
たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせ
り,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりな
おせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どち
らでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日
月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふ
れよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.



読めるかよ。
いや努力すれば読めるかもしれない。しかしなぜ読者が我慢しなくちゃいけないのだ?
根本的な問題として、小説は面白くないと意味がないとおもう。
「日本語の限界に挑んだ」とか言っているが、むしろ挑むな、と言いたいぐらいだ。

日本語の素晴らしさだとか、日本文学バンザイだとかそういう理由で
この小説を選考委員が評価するのは分るが
じゃあ選考委員はこのあとこの作者の小説を読み続けるのか?
と考えたらおそらく読まないに違いない。

魂をたましいとひらがなで書くと浮遊感覚が芽生えると評価されているらしいが
私から言わせるとやかまわしいわと思えることでも
そもそも「文学」とは芸術そのものなわけで、人にはいろいろな見方があるのも分る。

作者は早稲田のエリートだ。
いつも不思議なことだが小説には学歴がつきまとう。

もし、当該小説を、小学生がひらがなで書いて東大生が書いたと宣伝すれば
どうなるだろうか?
おお!このひらがなは、見事な浮遊感覚だ!こんな笑い話のような出来事が実際に起きそうだ。



ピカソの絵も同じだ。
小学生の書いた絵をピカソと言えば10人中3人は
これは奥が深い作品だ!とほざくに違いない。


しかしもしこの小説をほめろと言われたら私はこう言う。
「読破したら80歳でエベレスト登山に成功するのと同じくらい偉業ですよ!」


読みにくい小説というのは必ずしも需要がないわけではない。
読者はチャレンジ精神を持っているからこの小説だって読まれ続けるだろう。
そうだ、読書はある意味で登山と同じなのだ。

意味を理解できずに読み終えたとしてもそれは読破したと胸を張って良い。

「ぼく、このあいだ、え~び~さんごを、よみおえたよ」と同僚に言ったら
おそらく10人中7人に尊敬されることは必至である。