ネトウヨを語る
私は彼らを否定はしませんし肯定もしません。
ただ、社会現象にもなったネトウヨ現象は、純小説のテーマにもなりえると思います。
ネトウヨとはネット右翼を略した言葉です。
ここで質問。ネット右翼と通常の右翼の違いを述べよ。
(リアル右翼とネット右翼は明らかに違うが、説明できる人は何人いる?)
こういう質問をすると
ネトウヨとは、
右翼の真似をしたニート
負け組
不満抱えた集団
と解答する人がいるかもしれません。
それは事実であるのと同時に本質ではありません。
それを今から説明致します。
(マスコミは釣り師。ネトウヨは魚)
たとえば右翼は多少なりとも愛国心がある。少なくとも「日本」の知識がある。
それに対してネトウヨは「日本」という国には興味がない。
もしくは日本という国に興味があるふりをしている。
しかも彼らは天皇に対する知識がないと断言しておきます。
ここまでは誰もが知っている「事実」ですね。
ではなぜネトウヨは右翼と称されるのか?
それは中国や韓国などを憎むからです。そこだけが右翼と共通する点なのです。
彼らは今、韓国叩きで熱中していますが、沖縄問題になれば標的はアメリカになり、
北方領土ではロシアになる。誤解を恐れずに言うならば、
ネトウヨたちは、尖閣諸島や竹島、北方領土に愛着はありません。
実は彼らの本音は、領土などどうでも良いと思っているのです。
欲しいのは口実です。中国を憎む口実、韓国を憎む口実。
ネトウヨの目的は愛国心ではない。憎むことそのものなのだ。
しかし、ネトウヨたちは、外国人を憎いから憎んでいるのではない。
じつはネトウヨたちは、実社会では、たとえば、中国人の陳さんや韓国人のホンさんと出会えば
礼儀正しく挨拶をするおとなしい青年たちなのだ。
それなのにネトウヨは「ある理由」から匿名ネット社会では別人になるのだ。
どうしても中国や韓国を憎まなくてはいけない理由がある。
(ネトウヨは以下のような文章を好んで書く特徴がある)
ではここから一番大切な本題に入ります。
なぜネトウヨは愛国心がないのに仮想の敵を作り上げて憎もうとするのか?
しかも一番不思議なのは、
本当は憎んでいないのになぜ憎もうとするのか?
その理由はキリスト教の信者を思い浮かべてください。
ネトウヨ会に入会することは、宗教に身を置く信者とまったく同じなのです。
宗教というのはみんなが共通の神様を愛することによって価値観を共有することができ
それが個人の孤独を解消させることができると思われている。
孤独な現代人が宗教に走るのはそれが1つの要因でしょう。
しかしである。
みんなが同じ神様を愛するよりも、みんなが同じサタンを憎むほうが
より強い連帯感を味わうことができる。
宗教の本質は「排除」です。
戦争と宗教は表裏一体なのです。「敵」が存在しない宗教などありえない。
必ず宗教は、仮想の敵を自ら作り上げ、組織力を強固なものにしようとする。
この人間心理を利用したのがヒトラーでした。
ここがネトウヨを理解するうえで非常に重要な要素であることを理解してください。
(ネトウヨが書く代表的な文章例)
みんなで同じものを愛するよりも
みんなで同じものを憎む方が仲間意識をより強く感じるものなのです。
そして連帯意識を感じるものなのです。さらに高揚を感じるものなのです。
しかも孤独はやわらぐものなのです。
ニートである若者も
会社で孤立している窓際族のサラリーマンも
家族から疎まれている孤独な老人も
娘や妻から汚物のように見られている哀れな父親も
結婚をあきらめてペットショップで犬を飼い始めた40歳男も
インターネットを通じて、同じものを憎む作業を通して、仲間意識を持つことができ、
そして孤独から解放されているという事実があるのです。
これこそがネトウヨの正体である。
ネトウヨの増加は、、孤独な現代人が、孤独から脱がれる解決手段を
ついに探し当てたことを意味するのです。
(彼らは憎んでいるのではない。連帯感を求めている孤独な人間たちなのだ)
しかし、ネトウヨたちは、現実社会ではネトウヨであることを封印します。
むしろ現実社会でコミニケーション不全だからこそ、彼らは連帯感を求め
夜な夜な、ネトウヨとして徘徊するのです。
私は彼らのコメントを読むだけで涙が出るほど切なくなってきます。
彼らのコメントには共通点があります。
彼らは決して怒らないのです。
常に笑うのです。
それは嘲笑・あざ笑う、という笑いです。
その笑いを連続して繰り返すことが特徴です。
この心理分析については第二部で説明致します。
しかし私には彼らの笑いが悲鳴に聞こえて仕方ないのです。
そして第三部ではいよいよネトウヨの救済方法について深く追及していきます。乞うご期待を!