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自殺

自殺問題。自殺などするなと言ってもむりだとおもう。
なぜなら本人も自殺などしたくないはずだからである。
自殺は自分の意志ではないとおもう。

かつて風に当たったら自殺するという映画があった。
インド人監督の映画である。
おそらくそれが自殺の本質かもしれない。
自殺は誰にでもおこりえるハプニングなのです。

鬱になろうとおもって、なる人はいない。
しかし防ごうとしても防げないことが多い。
まるでよけきれない謎の風のように。

そしていつか自分は自分に殺される。

生きてきて、たまにつらいことがある。
いやむしろ生きることは苦しみや悲しみのほうが多い。

今はまだ幸運にも心壊れてはいない人たち。
しかし今後はわからない。
ニュースは若者の自殺ばかりとりあげるが
自殺は長く生きれば生きるほどどんどん増えていくのだ。
鬱になり、食べ物の味がしなくなるかもしれない。
そんなとき、どんな理由が考えられるか?
経済が悪いから、受験社会だから、もしくは小沢一郎のせいか?

だがそんな理由で自殺が増えるという言い分には賛成はできない。

なぜなら北朝鮮やアフリカなどと比べれば日本はましだからだ。
じゃあ日本人は特別に心が弱に民族なのか?
だから1日に100人の人間が自殺するのか?それも違う気がする。

昔の日本は「三丁目の夕日」のように美化されている。
しかしあんな映画は嘘っぱちだ。幻に近いおとぎ話だ。
べつにそれで観客が感動するなら文句は言わない。
しかし、
実際には住む場所もない、食べるものない生活をしているものが多い時代であった。
すなわち
津波被害で家族をなくし仮設で暮らす人々と同じくらい苦しんでいた。
あの時代はよかったというのは嘘なのだ。
戦後は特にひどかった。人々は愛より一杯の水を欲しがった。
まずは生きること、それが優先順位だった。
しかし自殺は多くはない時代だった。

したがって自殺の数の増減は生活の苦しみ度に比例しない。

戦争中に足を地雷で飛ばされて激痛にさいなまされても生きる者。
北朝鮮で餓死寸前の生活でも、生にしがみついて生きる者。
日本のように解雇されて落ち込んで自殺するもの。
これらの不幸度の違いは人間の強さや弱さでは決してない。

決定的に昔と違うことは人は満たされていくことによって
「ない」ものを数えるようになったことだとおもう。

頭が悪いこと、お金がないこと、デブであること、
禿であること、貧乏であること、出世競争で負けたこと
もてないこと、それらのような、ないものを数えはじめた結果、
持っているものを忘れるようになった。

メリルストリープが末期がんで死んでいく母親役を演じた映画、
その娘は母親にたいして殺意に近い憎しみを持っていた。
メリル演じる母親はそんな娘にたいして命をかけてある言葉を残す─
「いま自分がもっているものを愛しなさい」 その言葉に感銘を受ける。

宗教的だが自殺しないためには
自分が受けている恩恵に気が付くことだ。
「そんなものは1つもない、おれは不幸だ」という人はやはり客観性が不足している。

ユダヤ収容所におけるユダヤ人の唯一の幸福は太陽の光をあびる時間を
もらえることであったという。
これは心理学者の本で、かなり「不幸」の本質を考えるのに役立った。

絶対になにかあるのだ。恩恵は。。

危険な風をよけるための秘訣はここにあるのではないかと思っている
だがそれを実行することは限りなく難しい。

なぜなら人は失ってから失ったものの恩恵に気が付くからだ
by _hanako311 | 2012-03-09 20:23 | -----------