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美しすぎる海辺のバス停。


日本で最も美しいドライブコース。それが奥能登。


青い海と青い自転車。感動したので思わず撮りました
# by _hanako311 | 2012-05-27 20:42 | Trackback
日本初の快挙かも?石川県、輪島の手前にある海辺のバス停を一挙公開っ!





道が狭いため、こういうふうなバス停になっています。
海に最も近い駅というのは有名ですが海にもっとも近いバス停は日本でここだけですね!





あの有名な千枚田はこのバス停の先にあります!バス料金はいくらか知れませんけどね!





美術品のようなバス停ですね。いつみてもほれぼれしますね!
でも本気で道が狭いんです。普通は写真なんてのんきに撮れる場所じゃありません。


上からみたらこういう感じ。撮るのに苦労しましたね。だれかほめてほしいですね!


でもいまだにバスを見たことがありませんけどね!
# by _hanako311 | 2012-04-30 22:31 | Trackback
厳しい北陸の寒さに耐えながら桜をみるとやはり心が和む



大聖寺川沿いの桜はなぜかギャラリーが少なく穴場となっている。
ここは桜のトンネルであり、散る瞬間は、桜のシャワーとなって降り注ぐ。


ここの船主は唄う。その声は船に乗っていない岸辺にいるギャラリーにも聞こえてくる。
まわりの者たちはそれに対して万雷の拍手で応える。


4月14日、今日の天気予報は雨のち曇りであった。
それでも空は青い。たまに天気予報も外れることもある。

兼六園よりも大聖寺川のほうがすごいと思うときがしばしばある。
上から桜を眺める。めずらしいアングル。


# by _hanako311 | 2012-04-14 22:39 | Trackback


生きるのが辛いと思う気ち持と、申し訳ないと思う気持ち

このセリフにいろいろ思うことがありました。



どれだけ辛くても震災で死んでいった人たちや
またはこれから末期がんになって死んでいく人に比べれば─


しかし

たとえば「いじめ」
子供がランドセルを背負っているところを後ろから蹴られたりしたら─

生きるのがツライと思う気持ちはやはり生まれるとおもう


震災。
死にたくなかった人たち。生きたくても死んでしまった人たち
それに対して健康に生きているのに、生きるのがつらい、しんどいとおもう気持ち。

すなわちそれが彼女の「申し訳ないと思う気持ち」なんだと思う─
が、やはり生かされている恩恵を忘れてしまう、生きるのがしんどいと思ってしまう─

人は健康や命を失う危機にさらされないと「恩恵」に気づけない生き物だろうか─
だからジグソウのような人間が必要なのかもしれない。

いろいろな小説を読んできていろいろ理解しているつもりだが
「人間の幸福論」を語るまでにはいまだに到達できないでいる、



自殺問題。自殺などするなと言ってもむりだとおもう。
なぜなら本人も自殺などしたくないはずだからである。
自殺は自分の意志ではないとおもう。

かつて風に当たったら自殺するという映画があった。
インド人監督の映画である。
おそらくそれが自殺の本質かもしれない。
自殺は誰にでもおこりえるハプニングなのです。

鬱になろうとおもって、なる人はいない。
しかし防ごうとしても防げないことが多い。
まるでよけきれない謎の風のように。

そしていつか自分は自分に殺される。

生きてきて、たまにつらいことがある。
いやむしろ生きることは苦しみや悲しみのほうが多い。

今はまだ幸運にも心壊れてはいない人たち。
しかし今後はわからない。
ニュースは若者の自殺ばかりとりあげるが
自殺は長く生きれば生きるほどどんどん増えていくのだ。
鬱になり、食べ物の味がしなくなるかもしれない。
そんなとき、どんな理由が考えられるか?
経済が悪いから、受験社会だから、もしくは小沢一郎のせいか?

だがそんな理由で自殺が増えるという言い分には賛成はできない。

なぜなら北朝鮮やアフリカなどと比べれば日本はましだからだ。
じゃあ日本人は特別に心が弱に民族なのか?
だから1日に100人の人間が自殺するのか?それも違う気がする。

昔の日本は「三丁目の夕日」のように美化されている。
しかしあんな映画は嘘っぱちだ。幻に近いおとぎ話だ。
べつにそれで観客が感動するなら文句は言わない。
しかし、
実際には住む場所もない、食べるものない生活をしているものが多い時代であった。
すなわち
津波被害で家族をなくし仮設で暮らす人々と同じくらい苦しんでいた。
あの時代はよかったというのは嘘なのだ。
戦後は特にひどかった。人々は愛より一杯の水を欲しがった。
まずは生きること、それが優先順位だった。
しかし自殺は多くはない時代だった。

したがって自殺の数の増減は生活の苦しみ度に比例しない。

戦争中に足を地雷で飛ばされて激痛にさいなまされても生きる者。
北朝鮮で餓死寸前の生活でも、生にしがみついて生きる者。
日本のように解雇されて落ち込んで自殺するもの。
これらの不幸度の違いは人間の強さや弱さでは決してない。

決定的に昔と違うことは人は満たされていくことによって
「ない」ものを数えるようになったことだとおもう。

頭が悪いこと、お金がないこと、デブであること、
禿であること、貧乏であること、出世競争で負けたこと
もてないこと、それらのような、ないものを数えはじめた結果、
持っているものを忘れるようになった。

メリルストリープが末期がんで死んでいく母親役を演じた映画、
その娘は母親にたいして殺意に近い憎しみを持っていた。
メリル演じる母親はそんな娘にたいして命をかけてある言葉を残す─
「いま自分がもっているものを愛しなさい」 その言葉に感銘を受ける。

宗教的だが自殺しないためには
自分が受けている恩恵に気が付くことだ。
「そんなものは1つもない、おれは不幸だ」という人はやはり客観性が不足している。

ユダヤ収容所におけるユダヤ人の唯一の幸福は太陽の光をあびる時間を
もらえることであったという。
これは心理学者の本で、かなり「不幸」の本質を考えるのに役立った。

絶対になにかあるのだ。恩恵は。。

危険な風をよけるための秘訣はここにあるのではないかと思っている
だがそれを実行することは限りなく難しい。

なぜなら人は失ってから失ったものの恩恵に気が付くからだ


芥川賞選考委員でいつも悪態をつく者が2名いる。宮本、石原の2人である。
毎回、芥川賞の受賞があるが、村上龍や山田詠美という選考委員はいつもほめる立場だ。
しかし石原、宮本の2人は貶しまくる。そういう図式が成立しているようだ。
「喝」をいれるおじさん役とおもえばそれまでだ。

最初に言っておくが私は石原、宮本ともに嫌いではない。
当たり障りのない毒にも薬にもならないお世辞の批評よりも、よほどましだからだ。

しかしである。
ノミネートされて落選する作家たちはたまったものじゃないだろうとも思う。
とくに田中氏は何度も落選しているそうだから今回受賞した作品の石原の批評よりも
落選したときの石原の批評を読みたいと思ってしまう。
おそらく、田中氏は、落選を続けたあいだ、殺意すら芽生えるほど攻撃を、
石原・宮本連合軍から受けたのではないだろうか。
ひまがあったら文藝春秋の過去号を図書館で読んでその事実を確認したい。



それはともかく、トモグイ。これだけ世間を騒がせたわけだから、
1人の読書家としては読まずにはいられない。

父親に対する憎悪。それは伝わってきた。
父親や母親に対する憎悪、というのは正直言って文学の王道だ。
大文豪ドストエフスキーだって父親殺しの物語が最高傑作だといわれている。

トモグイは実の母親が離婚して1人暮らしで「義手」というのがかなりディープだ。
ちょっとやりすぎではないかと思って、笑みさえこぼれてきた。
ただ、父親は早くに亡くなっているそうなので完全な私小説というわけではなないようだ。

ばかだと思っていた義母が、父から離れる決意をしたときに「ごめん」
と謝った主人公(田中)の想いが伝わってきた。
この作者には弱い存在のものを愛おしく思う感情がどこかに感じられる。
痛みを持った人間特有の感情だ。

闇度(病み度)が深ければ深いだけ、文学は成功する可能性は高い。
芥川本人がそうだった。偉大な文学は不幸の中から生まれる。
トモグイは外面描写は常に汚いものを執拗に描ききっている。

こういう小説を読んでいるとなぜか心が落ち着く
わたしは典型的に芥川賞的な不幸の大バーゲンセールを謳う作品が好みのようだ。



パソコンが突然死した

# by _hanako311 | 2012-02-12 21:39 | Trackback


神さまはいるのか?という映画でした。

日本人は無宗教でいる人が多いとおもいます。
しかしほぼ、すべての人間は、神がいるとおもって生きています。

この考えを、宗教観といいます。

たとえば

墓石を蹴り倒したら、縁起が悪い
初詣にお祈りをする、交通祈願をする

かりにキリストや仏さまを信じていなくても
すべての人間が、神さまと意識しないまでも、見えない何かにたいして

悪いことをしたら罰を受ける恐れを抱いたり、
願いが叶うようにとお祈りをしたり しているのです。


(我が子を殺されて宗教に救いを求めた女性、しかしその先に思わぬ展開が・・)


子供が死ぬという事実。殺されるという事実、虐待されるという事実。
これに対して私には疑問がありました・・

大人には業があります。

しかし無垢な子供にはまだ罪はありません。

罪の無い人間に神さまを罰を与えるのか?

そういう疑問です。

神さまはやっぱりいないと思いました。

いろいろな人に、「罪がない人が殺される」という事実を質問したら
いろいろな答えが返ってきました。

もうすこし、深く考えてみようかとおもいました・・・・


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